マイゾウ・メーノス(まあーまあー)の世界ブラジル(32)=サンパウロ 梅津久
初日、仕事を終え、ホテルに戻った。夜8時に夕食に迎えに来るとのことで、ホテルのロビーで待っていたが、まだ日が高く、外は昼の明るさである。町を一回りして、レストランに着いたのが9時。それでもようやく夕方になったかなという感じで、しばらくイタリアワインを飲みながら話をした。食事が運ばれてきた。10時頃にようやく夕日を見ながらの夕食となり、食事が終わったのは11時頃であった。本当に異国に来ているという実感を味わった。
また食事であるが、気の付いたことに、イタリア人(イタリアでは)は食事の時に、ブラジルや日本のように清涼飲水を飲まない。ワインか、水またはビールである。またその水の種類が非常に多く「――サンタ」と神様の名前が付く。
ミラノの町での出来事。もう少しでお金からパスポート等の書類一式を盗まれるところであった。
それは一緒に行ったアマゾネンスと観光地を巡り歩いて、レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐の絵が置いてある教会の近くに来た所だった。真向かいから5歳から10歳位の二人の子供を連れた小さなチベット系の妊娠している女性が手の平にマットの様な物を広げて「アジューダ、アジューダ(助けて、助けて)」と言って近寄って来た。
そして手作りのじゅうたんみたいな物を両腕に広げて私の胸に当てて来た、良くみたらそれは茶色になった古新聞ではないか。おかしいと思った瞬間、腹の前に置いたポシェットのチャックが開く気配を感じ「オ、ケ、ボセ、ファス(お前何をする)」と言って後ろに引き下がってポシェットをみたら、半分開いているではないか。
脇にいた友人のアマゾネンスに「気を付けろ」と言って、この女性を罵り、難局をしのいだが、本当に危なかった。それで友人はどうしたかなと見渡すと、彼は教会の広場の反対側で、他の観光客の間に混じってこちらを見ている、なんと情けない旅行の同伴者なのか。
もう一つは、丁度サッカーのヨーロッパ選手権の時期で、準決勝と決勝戦にかち合った。準決勝でイタリアが勝った時の町の騒ぎはブラジル以上で町の中心の広場では車の上の乗った若者で埋め尽くされた。バスが強奪され、そのバスの上で気勢をあげ、挙げ句の果てには火まで付けてしまっている。反対に決勝戦で負けた時は、それこそ鼠一匹通らない静けさ、食事に行ったレストランのボーイに声を掛けたが、怒ってお客である我々に食ってかかりそうな雰囲気であった。
それから、イタリア(ミラノとベルガモしか知らないが)の町では、車を止めるのが大変である。それは駐車場が無いからである。
なぜ無いのか。それは古い建物の立て壊しが規制されているからだ。道路から見る建物は昔のままに保護されており、高さも4階位に統一されている。そのため駐車場を作るスペースがない。それで皆、路肩や歩道が駐車場になってしまっていている。ビニールカバーで覆ったまま歩道に駐車してあるし、廃車じゃないかと思われる車まで歩道に放置されている。
その車の傷みも先進国とは思いない程激しい。バンパーは紐でくくられ、ウィンカーはつぶれ、いたる所へこんだ車だらけである。駐車する時は、ハンドブレーキをかけないで置くのだそうです。ピッタリと着けて駐車し、出る時は前、後の車を押しやって出て行く。
もっと変わっているのはガソリンポスト。人々が往来する歩道の一部に何の囲いもなくこじんまりポツン、ポツンとあるのです。
イタリアの公園、特に芝生のある処は足元要注意です。なんだかわかりますか?犬の糞です。「おい、そっち、ああこっち、おい右だ、左だ」こんな会話をしながら公園の中を歩かなくてはならなかった。もちろん、犬を遊ばせるために仕切られた場所はあるのだが、とにかく朝晩、住宅から沢山の人が犬を連れて散歩(犬の生理要求始末)に出てくる光景に出くわした。
また、帰国の空港でも面白い事が。イタリアの空港では手荷物の大きさを制限するために、全ての手荷物をコンベヤーに乗せ、大きさを規制した枠(ゲージ)を通過しなければならない。
友人であるアマゾネンスの手荷物は、いつの間にかパンパンに膨れ上がり大きくなっていて、どうにもゲージを通りそうにない。「おい、これやばいぞ、少し中の荷物を減らせ」と云っている間、彼れはコンベヤーの上にあがって、ゲージに引っ掛かり止まっているバッグをグイグイと強引に手で押さえ込んでゲージを通過させてしまった。とても恥ずかしくて見ていられなかった。
彼は、親指を立てて俺に「OK」のサインを送って満足そうにしている。これも、イタリアにあった「マイゾウ・メーノス」のアマゾネンスである。
帰りの飛行機の中は赤と白ワインを飲んでゆっくりと眠りこんでしまった彼でした。