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ぶらじる俳壇=153=伊那宏撰

2025年8月27日

サンパウロ 串間いつえ

すぐ其処と言ふ道案内山笑ふ

句碑守は桜大樹やカルモ園

花屑をとどめて久し庭の隅

 〔〈花屑〉とは散り落ちた桜の花びらのこと。それが風に吹かれて〈庭の隅〉に溜まっているさまを詠んだ一句。公園ではなく住居内に植えられた桜のことであろう。溜まった花びらが久しい間その場にとどまっているというのである。それを見た作者の感動。薄っぺらい花びらが久しくその色を失わずにいることは、とりもなおさずそこが一日中日陰であることが必須条件。作者の確かな眼は、色をとどめ形を失わぬまま、何日も寄り添うようにしている花屑をしっかりと捉えていることだ。言わずして表現された花屑の鮮やかな色彩が、映像となって読む人の目に浮かび上がってくる。なかなか掴めない技である〕

サンパウロ 林とみ代

遅咲きの姿つつまし姥桜

 〔言うまでもなく、作者は〈姥桜〉の意味をご承知しておられる。桜は品種によって咲く時期が異なる。遅咲きの桜もあって花見好きの桜ファンを楽しませてくれる。彼岸桜・吉野桜の豪華・絢爛さとは程遠く、遅咲きのものは桜の主役とはなれずに咲くので、得てしてその姿は華やかさに乏しく、つつましくひっそりと咲く。そんな桜をいみじくも作者は〝姥(うば)桜〟と譬えた。お世辞にも若いとは言えないがまだまだ女盛りと言われる女性――と辞書に説明されている。どなたにも真似の出来ない、なかなか含蓄の深い〝桜礼賛〟である。自己俳句のマンネリ化打破、この作者にして、そんな意気込みを感じさせてくれるのは筆者の気のせいか〕

父の日に家族集ひて宴かな

お互いの絆確かむ春の句座

パラ州トメアス 三宅昭子

終戦日八十年の時刻む

原爆忌三度赦さじ我が街に

友病みて訪ふ道筋冴え返る

セザリオ・ランジェ 井上人栄

店先のアルカショフラに誘われて

満開の黄イッペ大樹牧の中

四色のイッペ咲かせて古耕地

カンピナス 後藤たけし

冬厳し卒寿のわれは一人ぽち

蛙飛び輪の広がりし池の水

暖かき暖簾を出れば寒き夜

サンパウロ 建本芳枝

外出の予定をずらす春浅し

惜しまれて大往生の春の夕

 〔その死を惜しまれつつも大往生をされた長老の最期を詠まれた。死をテーマにした俳句は珍しいが、たいていは哀悼の念を込めたものになり易い。しかし本句は少々雰囲気が違う。〈大往生〉とは苦痛の様子もなく安らかに息を引き取ることで、言わば〝理想的な死〟である。誰もが望む〝死の形〟である。そして時刻的に見て〈春の夕〉は家族全員が帰宅している時間帯、床に臥す老人の安否を特に気遣う者もいない。そんな日常の間隙を縫って、忍び寄る春の夕べのように、誰にも知られず一人の老人が息を引き取った。死をテーマにして完結した厳かな一つの俳句がここにある〕

春めく日何処より聞く笑ひ声

イタペセリカ・ダ・セーラ 山畑嵩

飛行機の昼月かすめ春浅し

よもぎ餅搗きてかぐはし鄙の味

老いてなほ健康体操春の午後

イタペセリカ・ダ・セーラ 山畑泰子

深山に見つけし春の息吹かな

東風にのり雲の流れのおだやかに

嵐すぐしきつめられし春落葉

ポンペイア 須賀吐句志

草萌えに生きる力を貰ひけり

菫風に誘われ伸ばす朝散歩

新樹光自然の恵み有難く

灯を消せば耳に春蚊のささやける(別稿より(かげろえる牧場に遊ぶ仔連れ牛(〃)

サンパウロ 馬場園かね

巣造りを老樹の處へ急ぐ蜂

壜底へ蜂蜜残り寒戻る

帰り花ヒマラヤ産の名札あり

サンパウロ 大野宏江

春の海潮の香りを吹かせけり

春の朝停戦祈るウクライナ

夢に見し訪日叶ふ春の宿

サンタフェドスール 富岡絹子

原爆忌悲しみ分かつ術も無し

終戦日母の記憶は我が胸に

春の夢無痛で死ねばそれも良し

麻州ファッチマ・ド・スール 那須千草

青空にイペが映えて静かなり

春菊や菊菜といふ名覚えけり

 〔春菊を別名〈菊菜〉と言い、それを知らずにいたとは作者自身の言。食用として畑で栽培する特有の香りを持った春菊だが、なるほど「菊菜」と言う方が適切な名前であることに私も初めて気付かされた。改めて歳時記をめくると「菊菜」と補足的に記載されている。しかしながら引用句はなべて「春菊」であり「菊菜」は一句もない。市民権を得ていないのであろう。とは言え、本句、新しい呼び名を覚えたとて素早く一句まとめたところが良い。人によっては小さな発見だが、作者にとっては大きな意味を持つ発見であったかと思う〕

春菊や種を取るため花盛り

サンンパウロ 平間浩二

俳諧は老の生き甲斐冬日和

太陽の恵みに凍蝶蘇る

満ち足りて余生大事に冬うらら

サンパウロ 石井かず枝

春一番鉢植の木々横倒し

春陽射し吊るした蘭と語る夫

春一番庭の植木も芽吹く頃

サンパウロ 山岡秋雄

厳寒に耐えし八十路に来たる春

予期せざる子の贈り物春のシャツ

朝の厚着昼は脱ぎゆく夜寒かな

サンパウロ 太田映子

フルートの音軽やかに草若葉

友が舞う桜音頭に花吹雪

桜散るいさぎの良さよ人の道

春の雨生きとし生ける者に降り

吹く風に身をまかせ散る桜花

サンパウロ 谷岡よう子

冬靄(ふゆもや)に犬の遠吠え寂しさか

ふっくらともうすぐ開く寒椿

ポンペイア 白石幸子

夕日差す厨明るし永き日よ

挽きたてのコーヒー夫と飲む日永

ひたすらにつつじ観ており吾も娘も

ポンペイア 作野敏子

春菊や若き日の想い出語る友

寺の庭色とりどりのつつじ咲く

人生の休み時間は日永なり

 〔まさに!と思わせる発想である。普通休み時間は好きな時に取ればよいのだが、それを〈日永なり〉と断言したことで説得力が生れた。のみか休み時間そのものの概念が具体化された。日脚が伸びた分働くのではなく、疲労回復のための〈休み時間〉に充てれば理想的なライフスタイルが生れる。物事は考えようと言われるが、何事も平凡性から脱却するために、まさにこういった発想の転換が是となろう〕

ポンペイア 鹿島和江

春菊の天ぷら孫が大好きで

庭に植う春菊家族で味わえり

春菊の料理はいつも母の味

ポンペイア 岩本洋子

白つつじ見事に咲ける空家かな

すこやかに老いゆく友よつつじ咲く

春菊を美味しと食べる母笑顔

ベレン 渡辺悦子

寒明け空御堂の鐘は鳴り渡る

朝(あした)には悲しき顔の孕み猫

父の日や子煩悩の父忘れまじ

ベレン 岩永節子

場違いかアマゾンに咲く夾竹桃

扇風機風も微睡む昼下がり

手際良くデリヴェリ届く夏料理

ベレン 鎌田ローザ

毒ありし夾竹桃の発見あり

賑やかに伯人多き盆踊り

好きな菓子仏壇供えし父の日や

ベレン 諸富香代子

扇風機手に持つ人の多かりし

 〔小型の手動式扇風機が発明されて久しい。団扇、扇子に代って登場した〝文明の利器〟である。日本でのお話かと思っていたが、当地アマゾン地方でもお目にかかるようになったようである。地球温暖化による異常熱波に対処する〝新兵器〟として感心させられたものだが、団扇・扇子文化のような情緒には欠ける。句材として、新しいのがせめてもの救い。よくぞ俳句になさった。そういった進取の志は、俳句の裾野を広げるためにも捨てがたく、かつ必要なものだと思う。(手動式扇風機は「扇風器」が良いかも)〕

手術延期発熱咳や炎昼下

ラインあり日本は危険な暑さとか

ソロカバ 前田昌弘

仔馬より落馬せし事その昔

夕東風や島の影遠くなりにけり

岸壁で見送る人や鰆東風

指先で触れる啓蟄の肌触り

サンパウロ 比嘉茂子

佳子様の来泊和む秋の日々

未踏の地にふんばり咲かせた桜花

芯移民呼び名なつかし移民の日

ブラジルもついにふるさとフェィジョアーダ

 〔類似句はよくある。長年住み慣れた国を第二のふるさとと私たちは普段に言って憚らない。だが本句は〈ついにふるさと〉と言って自らの意識の変革を分かり易く詠んでいる。移住当初、「フェィジョアーダを美味しいと思うようになったらあんたも一人前のブラジレイロだ」と先輩諸氏から吹付けられた言葉が、作者の意識変革の根源にあるにちがいない。本句はその辺りを的確に言い得ていて、類似句の呼び名を逃れている。作者ならずともまさにフェィジョアーダの旨さは格別だ、と思う。季語の力強さあっての一句と言えよう〕

サンパウロ 吉田しのぶ

春愁や人工知能に追ひつけず

エーアイで受く年金に春憂ふ

子の帰還叶わず母の終戦日

九十路(ここのそじ)朝寝も知らず家事こなす

移民妻は瀬戸の花嫁月おぼろ

 〔往年大ヒットした小柳ルミ子の『瀬戸の花嫁』をさりげなく織り込んだちょっと粋な俳句である。作者はそのことを特に意識して作られたのではなく、むしろ知り合いの花嫁移民のどなたかを、ふと思い出して詠まれたのであろうことは容易に想像できる。(もちろんご自身のことであっても一向にかまわないが)。句の中に個人名(有名人)やそれになぞらえた言葉を入れた俳句にお目にかかることがよくある。〝遊び〟の要素として先刻ご承知の上ながら、如何なる俳人も時にはふっと息抜きにそんな即興句を詠じてみたりする。読み手を〝和ませる〟という側面もあって技量優れた人に許されるものだ。助詞〈は〉と〈月おぼろ〉が絶妙な効果を生み出していることも見逃せない〕

読者文芸

あらくさ短歌会(7月)

夢うつつ出来た良い歌翌朝に思い出せない悔しさ幾度 楠岡慶憲

我が友はダリアの花が生き甲斐と施設の中で新種咲かせり 安中攻

歳重ね見えてくるものあまたあり人のやさしさ思いの深さ 金谷はるみ

毎日を日記のごとく短歌(うた)詠みて友との交流楽しきものを 梅崎嘉明

「ありがとう」皆に残して友逝きぬ土の匂いのマレット場で 吉田五登恵

移民初期夜明けの月を見る度に一人ぼっちの悲しきあの頃 篤常重

思い出す朝陽を拝むしきたりは今日も平和な一日(ひとひ)であれと 伊藤智恵

ゲートボール健康のため始めたり外での運動元気になれり 足立富士子

初めての露天風呂にて夜の雨湯に跳ねる音忘れがたしと 矢野由美子

始めたるゲートボールの指導者に言われるままに打ったが外れし 足立有基

年巡り今年も隣家のマナカ咲き五月の訪れ知らせてくれる 水澤正年

若者の太鼓の音が響きくる日本祭りのいよよ高めて 橋本孝子


「最後の力振り絞って完成へ」=ブラジル俳句選集第20回会議前の記事 「最後の力振り絞って完成へ」=ブラジル俳句選集第20回会議
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