【コラム】ロベルタ・マルチネリから学んだこと(20)奥原マリオ純
1980年代、私は両親の聴いていた音楽とともに育ちました。毎週、番組「イマージェンス・ド・ジャポン(Imagens do Japão)」を通してNHKに出演する日本の歌手たちを見ており、年末には恒例の「紅白歌合戦」を家族で楽しみにしていました。家の中では一日中、演歌や歌謡曲が流れていたものです。美空ひばり、千昌夫、村田英雄、八代亜紀、森昌子、堀ちえみ・・・。ポップスが流れることはほとんどありませんでした。
思春期になると、私はアメリカやイギリスのロックに夢中になりました。いとこのヨシアキが持っていたレコードの影響で、レジオン・ウルバナ、ウルトラージェ、パララマス・ド・スセッソなどブラジルのロックも聴くようになりました。
1991年、学校の友人たちと昼休みにMASP前でカシア・エレルとエジ・モッタのライブを観たことは、今でも鮮明に覚えています。食事よりも音楽を選んだ若き日の思い出です。
結婚してから、私は改めてブラジル音楽の豊かさに魅了されました。妻の影響もあり、音楽ジャーナリストのリカルド・アレシャンドレ著『ブラジル音楽史上の名盤500選』を通して新たな視点を得ました。そして、もう一人の大きな影響が、ジャーナリストでラジオ司会者のロベルタ・マルチネリです。
サンパウロ出身のマルチネリは、現代ブラジル文化を語るうえで欠かせない存在です。2009年から続くクルトゥーラTV局の番組「Cultura Livre(クルトゥーラ・リーブル)」では、新しい音楽家たちの発表の場を作り出してきました。
クラシック音楽のコンクール番組「Prelúdio(プレルーディオ)」の司会も務めています。ラジオ・エルドラードでは「Som a Pino(ソン・ア・ピーノ)」を担当し、新しいMPB(ブラジル音楽)シーンを紹介しています。
2023年からは、東京の人気ラジオ局J-WAVE FMでも彼女の選曲が放送されています。「Sounds and Cities – Jam the Planet」では、サンバやボサノヴァにとどまらない多彩なブラジル音楽を日本のリスナーに届けています。これまでに40回以上の放送を重ね、その中には新進アーティストから名だたるスターまで登場しています。
「ブラジルは広すぎて、地方のバンドが全国を巡るのは本当に難しい。でも『Cultura Livre』はその交流の場をつくってくれる」とマルチネリは語ります。彼女の活動は、若い音楽家たちに光を当てる大切な役割を果たしています。
ブラジルと日本の国交樹立130周年を迎えた今年、ロベルタ・マルチネリの存在は、両国の文化の懸け橋として、音楽という共通の言葉で人々をつなぎ続けています。









