site.title

ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(278)

2025年11月1日


モジの支部長格の中山潔は信者数人から一、〇〇〇コント近く集めて献上した。

加藤・川崎は献上者には、

「優先して日本に返し優遇する」

とか、

「帰国後、献金は日本政府が三倍にして返す」

とか約束していた。

ノロエステ線ビリグイ南方サントーポリス植民地(十一章で既出)の佐々木郭吉は、一、〇〇〇コントという大金を献上、帰国後、陸軍中将に任命されることになっており、本人もそれを信じていた。

この他、加藤は、幾つかの事業計画をつくり、人から金を巻き上げていた。

例えば、先に少し触れた貿易商の設立計画である。

師富栄という人物が、加藤が一回目の訪日の折、貿易商をやりたいというので、商社創立費として四〇〇コントを出資してやった。他に両替依頼金一五〇コントを預けた。

ところが、加藤は日本から帰ってきて商社を開いたものの、商品は全く入ってこず、委託した両替金も渡さない。

一杯食った、と師富は気づいた。

師富は、加藤が写真屋として地方回りしていた頃知り合った。初め、小金を貸したところ、チャンと返済するので信用したという。

加藤は製紙会社を設立しようとしたこともある。

これは一九五二年頃から、青木伊三郎こと韓国人キム・スー・ジョと組んで企てたもので、資本金二万コントの日、韓、伯の合弁会社を起こそうとした。その設立総会を、サンパウロ市内で開いた。

出席者は何人かいて、その資産処分の白紙委任状を取ったが、結局、会社は出来なかった。

このほか、新聞発行を計画したこともある。

バストスの猪股基は加藤が発行するという「ガゼッタ・ド・ブラジル」という名の新聞の編集責任者を、当人から頼まれ、サンパウロへやってきた。

活字や印刷機などを買い込んだが、加藤は新聞を発行しようとしない。しかるに購読料を前金で集めて使ってしまっていた。

加藤は、他にもふざけた真似をしていた。

サンパウロの市内に、朝香宮に謁見できる場所があって、希望者が訪ねると、係りが内部の謁見室に案内した。その部屋の奥には、御簾のつもりであろう、すだれが垂らしてあった。

拝謁者が進み出て、献上金を差し出すと、そばに控えた侍従役が受け取り、すだれの内側で加藤が、おごそかに、

「ウーン、ご苦労」とか、

「ウーン有難い」

とか一言。それだけで、当人は姿を見せなかった。

ともかく、こんな調子で、DOPSへ顔を出したマリオ・メーロ・フレイレという検事は、

「この事件はブラジル詐欺史上かつてない規模で、被害額は二万五、〇〇〇コントを下るまい」

と、呆れかえった。


偽宮騒動 ➄


加藤は色情狂でもあった。

川崎を通じて、信者たちに、娘を自分の側近く仕えさせることを要求、仕えさせては犯していた。(つづく)


ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(277)前の記事 ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(277)
Loading...