ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(279)
一九五四年三月四日のサンパウロ新聞は、加藤に犯されそうになって逃げた娘の代わりに、岩井静雄という入園者が自分の娘と姪を説得、献上したと報じている。岩井は、
「勿体なくも殿下は、淋しい一人旅であられる。折角の玉の輿を捨てて逃げ出す娘も娘だ」
と嘆いていたそうである。
ある信者は、一九五三年、加藤の命令でその女中と結婚させられた。彼はその女が嫌であったが、母親も勧めるので、結婚式をあげた。
ところが、わずか七カ月で、妻は子供を生んだ。赤子の元気さを見ると、早産とは思えなかった。顔は加藤ソックリだった。
その妻は、要旨、こう語っている。
「田舎に居った時、両親のところにサンパウロから、仕事があると言ってきたので、いとこと出聖、加藤の本宅に女中として住み込んだ。月給は貰わなかった。加藤の妻キヨは、加藤を真実、宮様だと言っていた。
一九五三年三月、寝ていたら、男が部屋に入ってきて目が覚めた。
男が襲いかかってきたので失神した。
翌朝、貞操を犯されたことを知って、加藤はじめ皆に話したが、そんな馬鹿なことはない、と笑われた。
結婚は、加藤が取りまとめたもので、自分は結婚の日になって知った」
農場支配人島崎の妻は、宮様の御殿に奉仕する女性を、入園者の娘の中から募り、仕えさせた。このことは、後に当人が後悔して、事実を記者に話している。
そういう次第で、少なくとも十数人の娘たちが、市内の妾宅でオモチャにされていた。(一九五四年五月三十日付け日毎新聞)
加藤はシッチオ・キヨで入浴中、背を流してくれていた人妻に襲いかかり失神させたこともあった。
偽宮騒動 ➅
加藤、川崎はDOPSでの取調べでは、容疑の一切を否認した。その一部が当時の邦字紙に出ているが、加藤の場合、訊問と答えは、次の様なものである。
━━朝香宮と名乗っているそうだが?
「そんなことはない」
━━川崎との関係は?
「そのような人物は知らない」
━━何のため、ここに居るのか知っているだろう?
「さっぱり、わからない」
━━敵は多いか?
「多いと思う。例えば農場に居った若い連中だ」
━━モジの道音が出した金額はどれくらいか?
「そんなものは知らない」
━━信者と結婚した(加藤の)女中が妊娠していたのを知っているか?
「知らない」
川崎の方は、留置場で遺書を書いて自殺を図ったり、それを途中で中止したり、翌日はケロッとして取調べに応じたりしていた。
訊問には、要旨こう答えていた。
「宮様の御殿の維持費とか、愛国運動費とか言って、他人に現金を要求したことは一度もない。
同胞に、加藤を朝香宮だと言ったことはない。彼の生家が朝香屋という屋号なので『屋』の字を『宮』に入れ替えただけのこと。(つづく)









