site.title

ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(281)

2025年11月6日


半世紀以上も後年のことになるが、筆者はその息子の邦親に会って話を聴くことができた。(邦親は十三章で登場している)

邦親は一九三四年、モジアナ線のカフェー農場で生まれた。終戦の年は未だ子供だったが、前記のサントーポリス植民地に居た。

父親静雄は、日本は絶対に負けてはいない、と戦勝を信じていた。日本に帰りたがっていた。

その父親が川崎三造と知り合った。それまで働いて貯めた金を献上、シッチオ・キヨへ入った。

「人間、こうだと信じたら、駄目。宗教と同じ。オウムだって同じでしょう」

と、邦親は言う。

オウムとは、日本で起きたオウム真理教事件のことであった。邦親は続ける。

「(静雄は)必ず日本軍がブラジルへ来る。その時、この農場は、軍が必要とする野菜を供給する、と言っていた」

農園では給料はなく、食糧は農場で採れるものだけ。食べるものが無い時もあった。

地域の日本人と付き合うことも、シネマへ行くことも許されなかった。

病人が出ても、病院へ行かせない。手遅れになって死んだ人もいた。邦親の母親も、そうなりかけたが、獣医の経験のある人が居て、手当てをしてくれ、危ないところを助かった。

その内、父親を除く家族全員が、

「これはウソではないのか? みんなウソでは?」

と言い出した。

加藤が宮様だということを含め、総ては嘘という意味である。父親も、

「お前たちが、そう言うならば…」

と折れるようになった。

岩井一家はシッチオ・キヨを出た。

入園者は、加藤夫婦のほかは二家族になった。

出た人々は、ゼロからのやり直しになった。が、加藤や川崎を告訴することはなかった。

岩井は、こう言う。「皆、もしかして、加藤が本物の宮様だったら…という迷いがあった」

筆者は、邦親に聞いた。

「加藤に、娘を献上した人が居た、という当時の新聞記事は、事実だったのですか?」

答えは、こうだった。

「事実だ。自分が知っているだけでも十四、五人いた。自分の姉やいとこも…」

とまで言って邦親は言葉を途切らせた。見ると、目に涙がたまっていた。

「信じられない。いくら親が命じても、本人が承知するとは思えない」

と、筆者が首を振ると、突如、やや興奮気味になって、こう言った。

「当時の日本人の家庭では、父親には口答えしない、父親が決めれば、それに従うという行き方だったのです。

ウチの父親は明治生まれの軍人で、二言目には、子供をブン殴った」

岩井一家が農園を出た翌年、本物の皇族三笠宮夫妻がブラジルを訪問した。一九五八年のことである。(つづく)


ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(280)前の記事 ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(280)
Loading...