ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(282)
シッチオ・キヨでは加藤が、そのことを信者と話しながら
「従弟なので、会いに行かなければならない」
などとホザいていたという。
その後も、加藤夫婦は、この農園で暮らしていた。その暮らしぶりは、どんどん落ちて行った。
近所で営農していた人が、自分の生産物を小型の貨物自動車に積んで、いちば(市場)へ運ぶ途中、よくシッチオ・キヨの近くを通った。すると、キヨが道端で僅かばかりの蔬菜を抱えて待っており、便乗させて欲しいと頼む。いちばに持って行って売るのである。
気の毒なので、乗せてやった、という。
そういう時期がかなり長く続いたようだ。
一九六七年、筆者はサンパウロ新聞の編集部で新米記者として働いていた。
偽朝香宮事件などは遠い昔の話だと思い込んでいた。ところが、その当の加藤が、ある日の夜、新聞社に現れたのである。
最初、社長(水本光任)が編集室に入ってきて、
「オ~イ…朝香宮が来たヨ!」
と驚いた表情で、原稿書きに忙しい我々に言い、後ろを振り返った。
そこに大きな男が立って居た。気味の悪い雰囲気を漂わせていた。加藤だった。
後年知ったのだが、この時、加藤は水本に小遣い銭をたかるために来たという。水本は幾らか出したそうである。
その後、編集室に連れてきたのだ。
それから、どういうことがあったかは記憶していないが、筆者はいつの間にか、この男に呑み屋に案内させられていた。おごってくれるのかと思ったら、こちらが払わされた。
しかも翌日も翌々日も、毎晩現れて呑み屋に誘う。一度も自分では払わない。
偽宮は、大きな身体を包む服も古び、ほころんでいたが、どこへ行っても悠然と振舞っていた。
時を同じくして、サンパウロに高橋祐幸という…これまた一種の奇人が現れていた。加藤と同県で宮城県鳴子町の実業家であった。
加藤は、この高橋に接近していた。どん底生活から抜け出すため、詐欺の標的にしようとしていたのである。
その経緯を知る人が、匿名を条件に、詳しいことを筆者に話してくれた。
「高橋は父親の興した土木、建築、植林、旅館経営などの事業を受け継いでいた。父親は県会議員も務めた成功者だった。
しかし当人は世間知らずの二代目だった。いつも酒気を帯びており、呑むと気が大きくなり、何でも人にやってしまう癖があった。
ブラジルが好きで、日本では二世留学生を可愛がり、全国各地に居る留学生を年二回招待、パーテーを開き、小遣い銭を配っていた。
この高橋が一九六七年、サンパウロを訪れ、ガルボン・ブエノのホテル・ニテロイに暫く宿泊していた…」
ここまで聞いて、筆者は、自分がそのホテルに高橋を訪れ取材したことを思い出した。確かに昼間から酔っていた。(つづく)









