ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(283)
その折の取材記事を読んだのではないのか…と思うのだが、右の匿名氏によると、この高橋を、シッポーから加藤が訪ねた。汚いナリをしていたという。サンパウロ新聞に姿を現したのも、その折であったろう。
加藤は、石巻中学の一年後輩と名乗って、高橋に会い、以後、何度も通って「センパイ、先輩」と持ち上げた。
加藤の高橋への擦り寄り方は、芝居がかっていた。高橋を何かのことで怒らせたことがあった。そんな時、ホテルの前で二人が出会った。瞬間、加藤はパッと屈んで路上に手をつき、頭を下げて謝った。通行人が見ている前で…。
結局、高橋は篭絡された。
それを心配、偽宮騒動のことを話して、
「加藤を近づけるナ」
と忠告する人もいたが、高橋は、
「裁判にならず、釈放されたンなら、潔白なのだろう」
と気にしなかった。
その内、加藤は高橋に会う度に服だ何だと貰って帰って行くようになった。
匿名氏は、加藤が道を歩いているとき、ヒョイとかがんで落ちている煙草を拾い、それを吸い始めるのを、そばで見たことがあった。
かつてはキャデラックを運転手つきで乗り回した男が…である。
その頃、筆者は加藤の妻キヨに会ったことがある。が、ただの貧弱なオバサンで、宮妃だの美貌だのとは、ほど遠い感じだった。
「主人が、アメリカのCIAに狙われている」
と真顔で言っていた。頭がおかしいのではないか、と思ったものだ。
やがて、加藤夫婦は日本へ帰った。高橋がシッポーの農園の一部を買うという形で、費用を出したという。
夫婦は、日本では郷里の宮城県に戻ったが、小牛田の加藤の実家には入れて貰えず、キヨの仙台の母親を頼った。が、こちらも、ただ一人家を守っていた母親が、敷居を跨ぐことを許さなかった。ただ、納屋に寝泊りすることだけは許した。
母親の家は、二百坪はあろうかという屋敷で、時価数億円の価値があった。
その日本時代のことである。
やはり宮城県人でサンパウロでガラス商を営む小池郁夫という人が訪日、用事があって高橋祐幸を訪ねている。
以下は、この小池から筆者が聞いた話である。
小池は、その時、加藤を紹介された。胃の手術で入院中であった。入院費は高橋が出してやっていた。
退院後は、自分が所有する牧場で、馬の世話を仕事として与えていた。
小池は偶々、その牧場を訪れたことがある。加藤は「静養方々ネ…」と、体裁を繕っていた。
小池は、やがてサンパウロに戻ったが、後で聞いた処によると、加藤は何か不始末をやり、牧場を追い出され、自家用車の運転手やチリ紙交換をやっているということだった。(つづく)









