ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(284)
運転手の時は、人から雇い主の社長と間違えられ、チリ紙交換では「芸術家か?」と訊かれたという。
加藤は背が高く腹が出て、背筋が伸びており、恰幅が良かった。
やがてキヨの母親が死んだ。屋敷はキヨのものになった。加藤はキヨとその屋敷に入った。入ると早速、屋敷の権利書と実印を持ち出し、それを担保に金貸し業者から大金を借りた。
加藤は、二十数年ぶりに妖しき「もう一花」を咲かせることになった。
小池は当時、二年に一度くらいの割で訪日していたが、その度に加藤が、どうしてそれを知るのか、仙台駅へ迎えにきた。高級車で運転手つきだった。その車で、宮城県海外協会などに連れて行く。
ところが加藤は、後で協会に、小池の案内経費の請求書を送りつける…という具合だった。
加藤は、仙台に居るブラジル二世の留学生や小池を誘って、レストランへ行くこともあった。が、支払う段になると、いつの間にか居なくなる。居る者だけで割り勘で払って表に出ると、そこに加藤が居って、
「おお、もう帰るのか?」
という調子。自分も払うとは言わない。大金を掴んでも、こういう癖は直らなかった。
やがて加藤は、ちょくちょくサンパウロへやってくる様になった。が、日本を出る時、必ず小池の母親を訪ねて、
「ブラジルへ行くが、息子さんに何か用事はないか?」
と訊く。自然、母親は何かをことづける。
サンパウロに着くと、電話をしてきて
「君のお母さんから、ことづかってきた」
と…。成行き上、こちらも家に招いて、それなりの接待をしなければならない。車でアチコチ案内させられることもあった。
サンパウロでの加藤の宿舎は、一流ホテルのジャラグアだった。部屋も決っていて、他の客が泊まっていると、ホテルの経営者の指示で、別の部屋へ移して加藤を入れた。何故かは判らなかったが、ともかく特別待遇を受けていた。
そのホテルに、渡辺某という熊本県人が、加藤をよく訪れた。この渡辺、加藤の前に来ると、直立不動、最敬礼をする。加藤は悠然とソファに腰掛けたままであった。
「これヨ、これヨ、張本人は…」
と、小池にポロッと洩らしたことがあった。偽朝香宮をでっち上げた張本人という意味らしかった。
とすると、事件の中心部には、川崎三造以外に、この渡辺という男もいたことになる。が、それらしい名は、当時の新聞には見当たらない。
加藤は、偽朝香宮のことは、小池が何度聞いても、絶対に話さなかった。時たま、右の様にポロッと、それらしいことを口にするだけだった。
「舞台装置をつくるのが、大変なのヨ」
と言ったこともある。偽宮を演じるには…という意味らしかった。
加藤は、いつも真っ白の三つ揃いのスーツ、赤い蝶ネクタイという身拵えで、内ポケットにドル紙幣の束を入れており、人に会うと、それをチラッ、チラッとのぞかせた。(つづく)









