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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(303)

2025年12月9日


苦境も経験した。

スタンダードとの提携以前、自社製の紅茶をアルゼンチンに輸出していたが、その当時、

「不況で、お茶が売れなかった年など、ブエノス・アイレスの大通りを夢遊病者の様に歩いた。自殺を考えたこともある」

と、後に金子に語っている。

スタンダードと提携、紅茶をニューヨークやロンドンへ輸出するようになると、自分で出かけて行って、セールスや品質の研究をした。英語は家庭教師を雇って勉強した。たいして上達しなかったが、紅茶に関することになると、不思議に会話ができたという。

さらに、二人の息子をイギリスに送って、紅茶の勉強をさせるという徹底ぶりであった。

山本周作の話は、ここまでとする。

ともあれ、一九五〇年代以降、日系社会の歴史の水流に、大きなうねりが発生していた。一九二〇年代に起きた現象と似ていて、さらに大であった。


十八章


交錯する光と影


一九六〇年代に話を進める。

六〇年…といえば、首都がリオ・デ・ジャネイロからブラジリアへ移転した年である。

それとは何の関係もないが、ここで久方ぶりに、鈴木南樹に登場して貰う。南樹はこの年、訪日している。

因みに、日本に行くことを、以前は帰国と言ったが、いつの間にか訪日と表現する様になっていた。

多分、大方の人が敗戦を認識、ブラジルに永住するよう生活設計を変えてからであろう。

南樹は、それ以前、一九三三年の移民二十五周年の折に帰国し、初恋の人おたつさんと再会している。(四章参照)

「長生きして、今一度帰っておいでなさい」

その折のおたつさんの別れ際の言葉である。

それから二十七年が経っていた。

この六〇年の訪日は、別の目的もあり、それは一章で記したが(おたつさんに、もう一度会いたい)という思いが燃え上がって、前回同様、堪えがたくなってもいたのである。

が、山形のふる里に着いて知ったのは、おたつさんが、もう、この世の人ではないということだった。余程悲しかったようで、

「自分は長く生きたが、国際的バガブンド、大たわけで終わった。おたつさんとのことは、ただひとつの夢だった。何故、あなたは死んでしまったのですか?」

と書き残している。

齢(よわい)八十を過ぎての、この純情ぶり、感嘆のほかない。


コロニアの鬼になった!


前章で僅かに触れたが、一九六三年七月、山本喜誉司が永眠している。

山本は、一九五八年の移民五十年祭が済むと、文協のビル建設に取り掛かった。が、その完成を待たず逝った。

自宅の一室で、医師である三男から肺ガンであることを知らされた。が、その部屋からニコニコして家族の前に現れたという。

当時、ガンは確実に死を意味した。

告知は一月で、以後、自分が関わっている仕事を整理しながら、文協会長を続けた。

四月に発熱、臥床後は、親しくしていた人々を招き、その客の好みの酒で、別盃を交わした。

告知以降の過ごし方は、日本の古き良き時代の武将あるいは軍人の最期を想わすものがある。山本の美学であったろうか?

彼は一九三二年の内乱で東山農場が戦場になった時は、砲弾の行き交う中、職員たちと本部に踏み止まった。

第二次大戦中と戦後、二度に渡り農場を接収の危機から救った。

その生涯は最後まで物語的である。

山本は、コロニアのため貴重な仕事に──本稿で記していないことも幾つかあるが──次から次へと、取り組んだ。

日本の本社の命に反してである。役員会や社主の岩崎家の不興を買うことを承知の上であった。

自身「コロニアの鬼になった」という言葉を使用している。

この人にも、南樹とは別の意味で、感嘆のほかない。

その歴史的位置づけは、下元健吉同様、難しくない。

終戦後に発生したコロニアの大亀裂を縫合した。

そのために広く呼びかけ、サンパウロの四百年祭に参加した。

次に文協を作り、移民五十年祭を、三笠宮ご夫妻臨席の下に挙行した。

歴代の文協会長に対する世評は、山本が最も高い。

「天才的なところがあった」とも評される。そう評される人物は──戦前の邦人社会を含めて──コロニアでは、下元とこの人しかいない。

但し、当人を良く知る本永群起(前章参照)は、

「シクジリも多かった」

と述懐している。

やはり完璧な人間など居ないものなのであろう。

なお文協会長職は、副会長で、コチアの創立者の一人であった中尾熊喜が継いだ。が、山本の残した任期のみを務め、再任は辞した。(つづく)


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