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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(328)

2026年1月27日


 ケイロウ談、再開。

 「外部への投資はしない、と総会で決めたのに、会長がセラード開発の件で、山本さんや橘さんと一緒にやる、という話を決めてきた。で、その時は、どうしてもと言うなら、総会にかけて決めてくれ、と…」

 ゼルヴァジオは、またも面目丸潰れとなった。


 パラカツ


 プロデセールに関して山本・南銀グループは、やむを得ずコチア抜きで会社を設立して続行した。

 コチアは単独で参加した。

 スール・ブラジルも前記の様に参加を決定していた。が、担当者が開発予定地を見に行くと、良い場所は、すでに山本・南銀グループとコチアに押さえられていた。ために憤慨して中止してしまう。

 CAMPOの、このミナス州でのプロジェクトは、ほかに非日系の一組合一企業とCAMPOの子会社が加わり始められた。開発対象面積は計五万八、〇〇〇㌶であった。

 ところで、この開発地となったパラカツには、コチア青年グループのムンド・ノーボ農場があった。ブラジル渡航時のファゼンデイロへの夢を思い出し、この農場を独自で手に入れたのである。

 広さは五、五〇〇㌶、その一部で穀物を栽培中だった。

 コチア青年パラカツ農牧という株式会社が経営体であり、青年仲間のほか戦後移民が多数、出資に応じ、南銀も協力の意味で株主となっていた。


 産組中央会解散南銀にも翳り


 一九七〇年代末、サンパウロ産組中央会が最期を迎えている。

 同中央会は、商品流通税で打撃を受けた後、米国産種鶏を輸入、雛の販売で一時、息を吹き返した。が、結局、立ち直りはならなかった。

 理事長は依然ピーザ、専務は橋本正敏が務めていた。

 事情を知る人は、二人の間は円滑に行っていなかったと言う。橋本は身を引いた。それから数年後、同中央会は解散した。

 これで、地方の小組合は別として、多地域で活動する日系の大型組合はコチア、スール・ブラジルのみとなった。

 この頃には、両組合と南銀が、コロニアの三つの城という形が、出来上がっていた。

 ただ両組合は、農業界とその周辺に影響力が限られたが、南銀はコロニア全体、進出企業にもそれが及び、より重みを感じさせるようになっていた。

 しかし、その南銀でも、先行きに翳りを感じさせる不祥事が進行中だった。

 時期は七〇年代末のことである。近い将来、最高幹部となるべき二人の役員が、同行の融資の抵当流れとなった土地と住宅を、市場相場よりかなり良い条件で入手、住みついたのである。内、一人のそれは高級住宅地にあり、土地は一区画を占めていた。

 ブラジルのことで、どこの銀行でもやっていたことで、橘も了承していた、という。

 しかし南銀役員といえば清廉というイメージがあった。それだからこそコロニアも、南銀を自分たちの城と思って、損得抜きで永年の間、支えて来たのである。もし、この事実を知ったら、どう思ったであろうか…。

 それと、抵当流れということは、元の持ち主の怨念がこもっているわけで、縁起の良いものではない。

 現に、その役員の一人は急死している。入手した住宅で、庭のプールを掃除のため散水中、足を滑らせて転び、頭を強く打ったという。

 その少し前、筆者は用事があって、この人を銀行に訪れたが、様子が少しおかしかった。卑屈な表情をし、うつむき加減で、口数も少なかった。

 筆者は(どうしたんだろう…)と訝しがったものだが、その時は、抵当流れの一件は何も知らなかった。が、当人は、そのことで筆者が取材に来た、と思ったのかもしれない。

 筆者は、その一件を後で知り(真面目な人柄だっただけに、後ろめたさを感じ、心を乱れさせていたのが、事故の一因ではないか)と想像した。

 それは別として、銀行内部でも、二人のやったことは不評であった。

 「南銀、必ずしも長くない」と、ある役員は慨嘆し、もう一人は「我々は、ああいうことはしないようにしよう」と同僚と話し合ったという。


 第二次石油ショック


 一九七九年三月、フィゲレード新大統領が就任。

 六月、第二次石油ショック発生。

 ブラジルの石油輸入額は、七三年は七億ドル、国の総輸入額の一一㌫であった。

 それが、この七九年には六四億ドル、三五㌫になってしまった。

 しかも、上昇中であった国際金利が、さらに高騰した。平時は六㌫台であったが、七九年には一二㌫を突き抜けた。

 ブラジルは、期限がきた外債の元利を払うために金を借りる…その借りた金を返すためまた借りる…その間、高金利で額はドンドン膨張して行く…という悪循環に嵌りこんでいた。

 七九年末、外債は遂に六〇〇億㌦を越した。

 連邦政府の国内債務も、外債とほぼ同額で、増え続けていた。政府は国債を乱発し続けていた。

 その乱発はインフレを急速に昂進させていた。七九年は七七㌫を記録した。

 化け物のごとく膨れ上がる両債務、インフレのハイパー化…三重の悪夢であった。

 かくして暗雲がハッキリ姿を現わす中、一九七〇年代は、過ぎ去って行った。(つづく)


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