ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(347)
超ハイパー・インフレ
サルネイ政権は、一九八八年になると、国債を果てしなく乱発した。無論、資金繰りのためである。
これは(金利同様)インフレを暴走…どころか狂走させてしまった。なんと、アレヨアレヨと言っている間に一、〇〇〇㌫を突破してしまったのである。超ハイパー・インフレであった。
サルネイ政権は、外債と同様、内債=公共債務=、インフレに対する戦いも放棄してしまったのだ。
前者は対外的な大破局を齎したが、後者は国内的な大破局を招いた。
ブラジルは二重の大破局に突入してしまった。
否、これに治安の極度な悪化も加え、三重の巨大破局と表現すべきであろう。
この巨大破局の狂乱の中に、日系社会も呑み込まれつつあった。
しかしながらである。サルネイという男は、外債のデフォルトの時と同様、自分が何をしているのか判っていたかどうか…甚だ疑わしい。
その証拠に、これだけの失政を犯しても、またも涼しい顔で、大統領の椅子に座り続けたのである。
地獄の悪魔は大哄笑しながら、今度は腹をよじって痛がっていたであろう。
「これ以上、笑わせるナ」
と。
狂乱、苛酷化
一九八九年、狂乱は、さらに苛酷化した。
サルネイは、事態を収拾する適確な手を打てず、小手先の細工を弄し続けた。
さらに、その場しのぎに国債を乱発し続けた。内債=公共債務=は膨張を続け、インフレは一、七〇〇㌫…と天井知らずであった。
二年前のデフォルトの後始末も不手際続きで、ブラジルの国際信用は下がる余地がないほど下がり、金融市場からの借入れは、いくら高利でも不可能になっていた。
同時に、対ブラジル債権が腐り始めていた。その債権を、死肉に舞い降りる禿鷹のように、ビジネスにすべく動き出した金融マンたちがいた。
これは例えば、米国の債権銀行とブラジルの債務者の間に立ち、米国に本社、ブラジルに支社がある企業を絡ませ、迂回取引で、その債権・債務関係を清算させ、手数料を稼ぐ…というビジネスである。
こういう、したたかなビジネスの流行こそ、ブラジルの無惨な姿をよく現わしていた。
サルネイは一九八五年四月、大統領に就任以来、五年間で大蔵大臣を四回変え、物価凍結を三回、デノミを二回やった。
が、やることなすこと、悉く失敗に終わり、その結果、余りにも異常な現象が続出した。
物価が毎日変わった。紙幣の数字と実際の金額が違った。(新紙幣の印刷が間に合わず、政令だけで旧紙幣の金額の単位を変更した)
銀行の窓口では、事務が複雑化して手間取り、来る日も来る日も、長い列ができ、そこに並ぶ人々は疲れきっていた。筆者もその一人だったが、泣き出す婦人(非日系)を観たこともある。顔中を涙で濡らして、行員の機嫌をとるためビーニョを差し出していた。
犯罪は激増、凶悪化、誰の身辺でも日常茶飯事となった。被害が一人で十数回、昨日会った人が今日は殺されている…というような話題も珍しくなくなった。
労働争議も多発、過激化していた。
一方で、いわゆるインフレ利益に潤った人や企業、銀行も多かった。この超ハイパー・インフレ下では、金融市場で金利がインフレ率より、かなり高水準で推移しており、それは余裕資金を持っている人や企業には、絶好のチャンスとなった。
その資金を銀行で、オーバー・ナイトで運用するだけで、かなりの純益が出たのである。
無論、銀行も儲けていた。
断末魔
八十年代末、コチアは、断末魔の苦しみにのたうち回っていた。
しかも次々追い打ちがかかっていた。
バタタは、水銀剤汚染騒動に見舞われた。
これはサンパウロ州保健衛生局系のA研究所が、州北部のバタタ生産地(非日系)で、収穫されたバタタの水銀含有率を検査、
「(国際的な基準の)許容度の倍の含有率が発見された」
と公表したことから、火がついた。
使用が禁止されている水銀混入剤が、同地方の農薬商により密輸入され、それが散布されていた…という。
この騒動の折、何故か州政府の保健衛生長官が先頭に立って摘発に乗り出し、バタタ取引市場で抜取り検査をした。
公害問題がやかましくなっていた折から、新聞やテレビは、これにとびつき、刺激的に報道した。
その結果、どこの市場や商店でも、バタタ売場の前は客が寄りつかなくなった。
価格は、あってなきが如くだった。三年目を迎えた不況の中でのこの災難、こうなると呪われている…としか言いようがなかった。
これで、バタタ生産者はトドメを刺された。
コチアでは、彼らの組合に対する負債が大膨張、清算の見込みは全く立たなくなった。
しかし実は、右の水銀剤汚染騒動には、その最中(さなか)から疑惑がつきまとっていた。(つづく)









