繰り返される教育機関襲撃=今度は保育園児9人が死傷

5日朝、主人の検査の帰りに携帯電話でニュースを確認しようとした途端、サンタカタリーナ州ブルメナウの私立保育園に小型の斧を持った25歳男性が侵入し、園児4人が死亡、園児5人が負傷との記事が目に飛び込んだ。負傷した園児1人は重傷で、失命する可能性があるという。
犯人は既に逮捕されたが、保育園との関係は判明していない。動機や共犯者の有無など、全容解明に向けた捜査は未だ続いている。
3月27日にはサンパウロ州の州立校で13歳の生徒による死傷事件が起き、今回はその直後であることから社会不安の深刻さを印象付けられた。
弊紙では報じていないが、同様の事件は、未遂も含め、このところ続いている。同州知事や同市長が私立保育園での出来事にも関わらず、服喪を宣言したことは、社会が同種の事件を重大視していることの表れといえるだろう。
一部の識者は、メディアがこうした事件を大々的に報じることで、新たな事件を誘発していると批判する。しかし、事件が与える影響の大きさ、家族、関係者の動揺や悲しみを思うと報じないわけにもいかない。ジレンマに陥る瞬間だ。
事件現場に居合わせた保育士の1人は、子供を守るため、赤ん坊を抱えてトイレに入って鍵をかけ、難を逃れたという。
現場の教職員や園児が受けたショックは言うまでもないが、事件を知って駆け付けた親や保護者の心中も推して知るべしだ。安全な場所と信じていつも通りに子供を送り出したはずが、その子を失う結果となった。家族の心は傷つき、悲しみや「何故?」との思い、怒りが交錯しているだろう。
3~7歳の子供や保育士、家族、関係者を襲った悪夢。努めて平静を装おうとしても、思い出され、涙したり不安定になったりする人達がまた増えたことを思い、急遽、書き直したコラムだが、同種の事件の再発を防ぐには、治安体制の強化だけでなく、命の尊さや人としてあるべき姿を思い、他者を思いやる気持ちを呼び起こすことが必要だろう。
イエス・キリストの受難を思いながら過ごすはずの聖週間の悲劇は、人間が持つ罪や性(さが)といった問題も突きつけた。教育機関の内外を問わず、自分を愛し、他者を愛すことや人の価値を尊ぶことを忘れ、自分自身を見失っている人や自己中心な人が増えたと感じる出来事が続く中、関係者一人一人に深い慰めと乗り越える力をと願いたい。(み)