名ギタリスト=ラニー・ゴルジン死去=トロピカリズモの名盤参加
ブラジル音楽界を代表するギタリストで、ブラジル音楽の数々の名盤に参加したことでも知られるラニー・ゴルジンが、自身の72歳の誕生日の28日に亡くなった。同日付G1サイト(1)やフォーリャ紙(2)が報じている。
1951年にロシア人の父とポーランド人の母の下に中国の上海で生まれたラニーは、幼少期にブラジルに移住。父親がナイトクラブの経営者だったことや、ビートルズやジミ・ヘンドリックスといった欧米のロック、ブラジルの文化運動のトロピカリズモの影響を強く受け、10代後半だった1960年代末からギタリストとして頭角を現すようになる。
トロピカリズモの中心にいたジルベルト・ジルらに気に入られ、ジルの「エスプレッソ2222」(1972年)やガル・コスタの名作ライヴ盤「ファ‐タル―ガル・ア・トード・ヴァポール」(1971年)、カエターノ・ヴェローゾの「アルバム・ブランコ」(1969年)、ムタンチスのヒタ・リーの最初のソロ・アルバム「ビルド・アップ」などに参加した。
さらに、ジャズ・ピアニストのエルメート・パスコアルのバンドメンバーも務めた。
その後もトロピカリズモ時代の実績から様々なセッションに参加し、自身によるリーダー作も多数発表。2017年にはラニーを描いたドキュメンタリーもつくられ、再評価を受けていた。
亡くなる1カ月前から肺炎でサンパウロ市南部の病院に入院。同氏の死は夫人のクリスチーナ・ズッキ氏によって伝えられた。