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カルロス・リラが死去=ボサノバ全盛期の重鎮

2023年12月19日

 1950年代から60年代にかけてのボサノバ全盛期に活躍し、音楽界に長く貢献し続けた歌手で作曲家のカルロス・リラ(90)が16日、入院中のリオ市の病院で死去した。同日付G1サイト(1)が報じている。
 リラはリオ市生まれ、リオ市育ちの生粋のカリオカで、早くから作曲家を志した。1954年に作った「メニーノ」をシルヴィア・テレスが1955年に録音。1956年からはプロの音楽家としても活動し始めた。
 ボサノバのブームは1959年からだが、「メニーノ」はボサノバの走りといえる曲で、ブームが始まった当初から作曲の当事者として参加。ジョアン・ジルベルトが歌って有名になった「マリア・ニンゲン」や「ロボ・ロボ」で知られた。
 その後、ヒット曲「コイザ・マイス・リンダ」で共作したボサノバの作詞家の大家ヴィニシウス・デ・モラエスとコンビを組むことが多くなった。1964年には「ミーニャ・ナモラーダ」「プリマヴェーラ」「サベ・ヴォセ」などを連続で大ヒットさせ、時の人となる。
 また、ブラジル共産党(PCB)に所属し、1961年にオドヴァルド・ヴィアナ・フィーリョ、フェレイラ・グラールらと共に、全国学生同盟の大衆文化センターを設立。政治色の濃い演劇の音楽担当を手がけるなどの顔も持っていた。
 歌手としても長く活動し、最新作は86歳の時に発表した「アレン・ダ・ボッサ」。生涯で196曲を書き、355曲のレコーディングに参加した。今年は、リラを敬愛するアーティストたちが彼の曲をカバーしたアルバムが発表されたばかりだった。
 熱が続いたことから、14日にリオ市バラ・ダ・チジュッカの病院に入院したばかりだった。バクテリア感染を起こしていたとの情報もあるが、死因は明らかにされていない。


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