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サッカー=巨星ザガロ、92歳で死去=選手や監督でW杯4度制覇

2024年1月9日

ザガロ(Lucas Figueiredo/CBF)
ザガロ(Lucas Figueiredo/CBF)

 選手、指導者として、史上最多4度のサッカーW杯世界一に輝いた「ザガロ」ことマリオ・ジョルジェ・ロボ・ザガロが5日、多臓器不全のために亡くなった。92歳だった。6日付フォーリャ紙(1)やG1サイト(2)などが報じている。
 ザガロは1931年8月にアラゴアス州アタライアで生まれたが、生後間もなくリオ市に移り、そこで育った。17歳の時にアメリカ・リオでサッカーを始めたが、1949年にフラメンゴに移籍。そこで左ウイングとして活躍し、州選手権で3度優勝した。
 ブラジル代表(セレソン)入りは26歳で決して早くなかったが、この年に行われたスウェーデンでのW杯に招集。本来のレギュラーだったペペの故障と、当時としてはやや珍しかった献身的な守備が認められ、6試合すべてに先発出場。17歳のペレのセンセーショナルな登場が大きな話題となった大会の優勝メンバーとなった。
 続く62年のチリ大会でも6試合すべてに先発。ペレの負傷欠場をガリンシャらと埋め、2大会連続優勝に貢献した。
 1965年で現役を退き、ボタフォゴで監督を務めていたが、1970年にセレソンのジョアン・サルダーニャ監督が政治的な理由で解任されると、後任監督を依頼され、受諾した。W杯開催わずか3カ月前という異例の急造就任となったが、セレソンはこのメキシコ大会を、ペレ、カルロス・アルベルト、トスタン、ジャイルジーニョ、リヴェリーノなどの黄金メンバーで圧勝して優勝。ザガロは選手、監督で優勝した最初の人物となったが、これはその後もベッケンバウアー(ドイツ)、デシャン(フランス)の2人しか達成していない。
 その後、80年代にはクエート、サウジアラビア、アラブ首長国連邦といった中東3カ国の代表監督を歴任。同地域のサッカーの発展に寄与した。
 その後は帰国して再びブラジル・サッカーに貢献。94年のアメリカ大会ではテクニカル・コーディネーターとしてW杯アメリカ大会に出場し、ロマーリオを中心としたチームで4度目の優勝。98年フランス大会では監督に復帰。ロナウドを中心に連覇を狙ったが準優勝。06年イタリア大会では94年と同様、カルロス・アルベルト・ペレイラ監督のもとでコーディネーターを務め、ベスト8入りに貢献した。
 その後もサッカー界の長老で重鎮、ご意見番として知られたが、昨年の12月26日にリオ市バーラ・ドール病院に入院。5日の23時40分に亡くなった。
 葬儀は7日、リオ市バーラ・ダ・チジュッカのブラジル・サッカー連盟(CBF)本部で行われ、同日午後、同市ボタフォゴのサンジョアン・バチスタ墓地に埋葬された。


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