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デルフィン・ネット氏逝く=「ブラジルの奇跡」実現した経済学者

2024年8月13日

アントニオ・デルフィン・ネット氏(12日付CNNブラジル・サイトの記事の一部)
アントニオ・デルフィン・ネット氏(12日付CNNブラジル・サイトの記事の一部)

 元財相で経済学者のアントニオ・デルフィン・ネット氏が12日未明、入院先のサンパウロ市アルベルト・アインシュタイン病院で死去した。96歳だった。ネット氏は、軍事独裁政権時代に農相や大統領府企画局長を務め、連邦下議としても活躍。その後、ルーラ政権やジルマ政権の経済顧問を務めた。同日付CNNブラジルなど(1)(2)が報じた。
 サンパウロ総合大学(USP)経済・経営・会計学部の名誉教授でもあったデルフィン・ネット氏はブラジル経済界の中心人物の一人で、約60年間にわたり、直接、間接に各政権に影響を与えてきた。
 同氏は、軍事政権下の1967~74年に財相を務め、アルトゥール・ダ・コスタ・イ・シルヴァ将軍とエミリオ・ガラスタズ・メディシ将軍の政権に仕え、高度経済成長を促した。この時期は大規模な公共事業の実施や外国からの投資誘致によって、工業化と都市化が急激に進み、国内総生産(GDP)の年間平均成長率が1969年から1973年までの間は10%前後に達し、「ブラジルの奇跡」と称された。
 同氏の活躍分野は財界だけではなく、エルネスト・ガイゼル将軍の下では駐仏ブラジル大使を務めた。1979年からのジョアン・バチスタ・フィゲイレド将軍の政権下では、農相を務めた後、1985年の独裁政権終了まで大統領府企画局長官を務めた。
 その翌年、連邦下議に選出され、87年と88年の憲法制定議会にも参加。その後も4期連続で再選され、2007年まで下議を務めた。
 軍事独裁政権の元大臣という立場にも関わらず、左派に接近し、ルーラ大統領(労働者党・PT)の初期政権下(2003〜10年)で経済顧問を務めた。その後も引き続き、ジルマ大統領(PT)の顧問として活動したが、後には、彼女に対して批判的な立場を取っている。
 デルフィン氏は2014年、インフレ緩和のために連邦政府が電力価格をコントロールしようとしたことを公に非難した。同氏は、この措置はブラジル経済に対する不信感を増大させ、投資を減らし、結果的にインフレが悪化すると指摘した。
 また、ジルマ大統領の政権運営が彼女の弾劾に至った主な要因であったと評価しており、2016年のインタビューでは、当時の大統領罷免プロセスについて、自身の立場を詳しく述べた。
 同氏は「最初に、弾劾は完全に法の範囲内であり、憲法の規定に従っていることを明確にしたい。確かに職務違反があったのだから、それについて議論しても意味がない。民間企業では、銀行員が自分の銀行から借金をすれば刑務所に入り、銀行は閉鎖される。連邦には財政責任法があり、政府が国営銀行から借金をすれば違反になると定められている」と述べた。
 デルフィン・ネット氏は、カマルゴ・コレア、アンドラーデ・グティエレス、OAS、Jマルセリから成るノルテ・エネルジア・コンソーシアムから架空契約によって1500万レアルの賄賂を受け取ったとして告発され、2018年に「ラヴァ・ジャット作戦」の捜索・押収の対象となった。
 同氏の弁護側は告発を否定し、彼が受け取った金額はコンサルタント業務の報酬に関するものだと指摘した。
 一方、ジャイル・ボルソナロ氏(自由党・PL)が大統領在任中だった2020年3月のインタビューで、デルフィン氏は政府投資なしにはブラジル経済は健全に成長できないと主張し、「公共予算に余裕を持たせて投資を拡大する必要がある。財政が悪化したため、政府はパートナーシップを通じて民間部門に投資を誘導することだけに頼らざるを得なくなった。しかし、これには政府に対する絶大な信頼が必要だが、残念ながら欠けており、自己破壊的な状況に陥っている」と説明した。
 デルフィン氏の通夜は行われず、葬儀は家族のみで執り行われる。


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