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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(208)

2025年7月19日

百年の水流

 検挙は地方の場合、支部役員を対象としたから、この人もそうであったろう。

 以下、報告記の一部である。

 執筆者は四月五日、友人宅を訪問中、警官に引致され、その夜十二時半の汽車でサンパウロのDOPSに送られた。

 が、訊問を受けることなく、未決囚拘置所へ移された。

 そこで入れられたのは七×九㍍くらいの房だった。

 ここに多い時は九十人、少ない時でも五十人が押し込められた。

 他の房も同じ様な具合だった。夜は肩を縮め、足をすくめて寝た。寝返りをうつこともできなかった。

 人いきれとコルションから出る塵埃は部屋の空気を汚濁し、誰も彼も呼吸器を痛めてしまった。

 朝食はカフェーらしい臭いのする砂糖水とごく小さなクズ粉製のポン、昼食は米と豆だけだった。肉も支給されたが劣等肉で悪臭が鼻につき、食えぬことが多かった。夕食も同じだった。日曜の昼食にはマカロンが出たが、ひどくマズかった。

 食器は一度も洗ったことがないような汚さで嘔吐を催した。

 野菜不足で誰もが便秘で苦しんだ。外部から買うという方法もあったが、ひどく高かった。仲介役の看守がピンハネしていたのである。

 皆、半病人の様になった。

 病気になっても、直ぐには手当をしてはくれなかった。

 刑事の取調べは乱雑極まりなかった。ここに入って直ぐ呼び出された者もあれば、一カ月後だった者もあった。

 すでに釈放された者を呼びに来たり、取り調べ終了者と未修了者を混同したり、姓名を間違って記録したり…というお粗末さだった。

 執筆者が取調べを受けたのは、二十六日目のことであった。 

 尋問の内容は姓名、生年月日、住所、ブラジル渡航の年月日などの他、戦争の勝敗に関する観方と臣道連盟との関係であった。

 勝敗については、

 「私は日本が勝っているものと思う」

 と答えた。

 「その証拠があるか」

 と問うので、

 「連合国は未だ戦争終結勝利の公式声明を発表しておらぬ。連合国が勝っておれば、何故、堂々と発表せぬのか」

 と答えた。

 続いて二人の間に、

 「公式声明は発表してあるのだ。日本は敗けておるのだ」

 「聞かぬ」

 「新聞では日本が敗けたといっているではないか」

 「戦争は武力戦ばかりではない。思想戦であり宣伝戦でもある。新聞の報道は信用せぬ」

 「実際、日本は敗けておるのだ。どうしても信じぬか」

 「信じぬ。日本政府の公式声明がはっきり判るか、日本からの外交官が公式に日本が敗けたと発表すれば、信じるかもしれぬが、これは精神的問題でもあるから、信じるかどうか判らぬ」

 …と問答が続いた。

 臣連との関係については、次の様に答えた。

 「私は連盟の精神が日本精神の発揚にあることを知って加盟した。日本精神は四海兄弟、世界平和の思想である。

 この精神こそは、日伯両国友好緊密化を増加するに役立つもので、要約すれば、連盟の精神は人類として正しき道を歩むことにあり、これこそ正義への道である。

 連盟の綱領には戦争の勝敗については一語も書かれてはいない。

 連盟は何等ブラジルの治安を害し和平を乱すものではない。連盟を悪く言うものがあれば、その者こそ、世界平和のための反逆者であり、ブラジルの治安を故意に妨害しているのだ」 

 しかし書記=記録係の刑事=は、これをタイプしようとしなかった。ために、次の同種の質問には、答えを簡単に打ち切った。

 この他、

 「野村が殺されたのを知っているか」「知っている。新聞で知った」

 などの問答があって、取り調べは三十分くらいで終わった。

 執筆者は、こう続けている。

 「私はタイプライターの後ろに居って、タイプしているのを注意して読んだが、話したことの三分の一も記録していなかった。

 要するに警察に都合のよいことばかり記録したのであった。

 そして三十分くらいして新しい書類を出して、

 『前の分は間違っていたから、タイプをし直した』

 といってサインを要求した。

 私は一見して不利な事項を書き加えた調書であるとみたが、この書類によって起訴されても構わぬ、と度胸を決めて署名した。

 訊問の内容は誰も同様であり、調書は読み聞かせることはなく、署名を要求、殆どの人が、如何なる内容が記録してあるのか知ることなしに署名していた」

 という。

 この部分は重要である。DOPSの供述調書は、信用できないことになる。

 十一、二章で登場した押岩嵩雄の話でも被留置者は「皆、メクラ判を押した」という。当時の日本移民は、成人してから来た場合、ポルトガル語を読める者は少なかった。(つづく)


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