ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(211)
三回目は、犬猫でも、これほど侮辱されることはないであろう程に扱われた。
「臣道連盟を脱退せよ、脱退すると言いさえすれば、留置しない」とも言われた。
四回目には「殴るは、殴るは、中休みして百回ほども殴られた。牢屋に入るところを背後から靴で蹴られ気絶した。その後、踏む蹴るを続け、気がついても未だ蹴っていた」という。
ほかの被留置者も同様だった。が、皆、日本の敗戦認識も連盟脱退も拒否した。
最後には、署長が根負けして、
「皆、無念であろうが、私の顔を立ててくれ。一時でよい、腹の中では何と思っていてもよいから、日本は敗けた、臣道連盟は解散した、と私が言うから、そうだといってくれ」
と、懇願する始末だった。
ここで言う臣道連盟はアリアンサ支部のことであろう。
ところが、誰も応じなかった。激怒した署長は部下と二人で、被留置者の一人を殴る蹴る踏む、と荒れ狂った。目、耳、鼻から血が噴き出した。
こういう地方警察の残虐行為は、その程度の差こそあれ、臣連の支部やその他の戦勝派団体の在る所、州内全域に渡って何処でも行われた。
バストスでは、留置した連盟員の頭や眉を剃って丸坊主にし、顔にチンタを塗りたくり、数珠つなぎにして街路を歩かせたという。
背後に米国の影
以上の諸材料からすると、州警察は総力を挙げて、四月一日事件の追及と併行、もう一つの作戦を展開していたことになる。
臣道連盟員初め戦勝派に敗戦を認めさせる、その所属団体を解散させる━━という作戦である。そのために、彼らを大量に狩り込み、辱め、精神的・肉体的に虐待、追い詰めていたのだ。
四月一日事件の追及よりも、こちらの方に力が入っていた感がする。
しかし、そういう作戦が当時の警察に必要であったろうか?
祖国の戦勝を信じるということは、精神的問題であって、犯罪ではない。
また、そういう日本人が居ろうが居るまいが、警察にとって、どうでもよいことだった。
普通なら「敗けた戦争を勝ったと信じているバカな連中がいる」と嘲笑ってすましたであろう。
事実、警察内部には、当初、この件に介入することを嫌がる空気があったという。
ところが、一転、必死になって敗戦を認めさせ、戦勝派の団体を解散させようとしている。ミランドポリスの署長など、最後は懇願している有様だ。
これは「敗北を認めさせよ、解散させよ」という命令が上の方から下っていたことを意味する。
前章で、不自然過ぎ、かつ出鱈目な大量検挙に関して、州警察の上司の公共保安局幹部、さらに州政府首脳も関与していた筈…と記した、
今回記した留置以降の残虐さは、その続きであり、ここでも公共保安局幹部、州政府首脳が関与していた筈である。
しかし、その上層部も、日本人が祖国の戦勝を信じようと信じまいと関係ないことであった。
従って、大量検挙と同様、その背後から強力な工作がなされていた筈である。
その強力な工作は何故、誰がしたのか?
何故は、無論「ブラジルの日系社会に、祖国の戦勝を信じる人間が大量に存在、団体まで組織していることを認めるわけには行かなかった」からであろう。
誰については、筆者は米国の公館…つまりリオ大使館、サンパウロ総領事館の幹部館員か彼らに雇われた外部の人間と観ている。
当時、ワシントンの米政府は東京のGHQを通じて、日本人が敗戦の衝撃で腑抜け状態になっているのをチャンスに徹底的に洗脳し、日本という国家を大改造していた。(八章参照)
そういう時に、米国にとっては南米最大の縄張りであるブラジルの日系社会に、祖国の戦勝を信じる人間が大量に存在、団体まで組織しているということは、許し難い事実であったろう。
そこで米公館は要所々々に工作、戦勝を信じる人間やその団体を消滅させようとした。
確証は無いが、筆者が、こう筋書きを読むのは、DOPSを中心とする州警察の動きが戦時中の日系社会に対する迫害工作と酷似しており、その延長という臭いが強烈だからである。
戦時中、米公館が州警察を背後で動かし、日系社会を迫害し続けたことは九、十章で記した。戦争が終わったからといって、それがパタリと止むということはあるまい。
GHQの日本大改造は未だ始まったばかりであった。当然、米公館は日系社会への警戒を続けていたであろう。(つづく)