【コラム】世界の人権地図に刻まれた島=(14)=奥原マリオ純

サンパウロ州ウバトゥーバ市沖にあるアンシェッタ島州立公園では8月9日と10日、「アンシェッタ島と聖ボン・ジェズスの多様な物語の祭典」が企画されていた。剣道やカポエイラ、バストンのコンガーダの実演、ドキュメンタリー上映、対話の集い、ミサや行列など、島に関わる記憶・文化・信仰を結びつける催しだった。
しかし当日は海が荒れ、上陸自体がかなわず、全てのプログラムが中止となった。それでも、この試みの意義は消えない。
島の歴史を形づくった多様な人々――日本人、ブルガリア人、先住民、黒人、カイサーラ、そして1952年の刑務所暴動に関わった人々とその子孫――の記憶を対話の場として守り伝える、という新たな位置づけが示されたからだ。
大阪なにわ会は、1946~48年に不当に島に拘束された7人の日本人剣道教師をしのび、島の博物館に剣道防具を寄贈する準備を進めていた。あわせて、剣技の披露も予定されていた。
2024年7月25日、ブラジル政府が日系社会に公式謝罪して以来、アンシェッタ島は世界の人権地図に確かな印を刻んだ。戦後の立憲期にあたるエウリコ・ガスパール・ドゥトラ政権下でも、無実の日本人移民が拷問や虐待を受けていた事実が明らかになったのは、日高徳一氏の証言を収めたドキュメンタリー映画『闇の一日――日系社会を震撼させた犯罪』(https://youtu.be/kbaehRBjQ98)や、2013年のルーベンス・パイヴァ真相委員会の公聴会によってだった。
現在、アンシェッタ島州立公園を舞台に「勝ち組・負け組」や臣道聯盟関与をめぐる従来の解釈の見直し作業が進んでいる。移民が受けた弾圧と政治的迫害を、次世代へ正しく伝える必要があるからだ。筆者も同意する。この問題は日系社会内部で再検証されるべきであり、戦中・戦後に移民を襲った国家の暴力から目を逸らさせる単純な説明は排さねばならない。
これからは、文化、人権、そしてブラジルの歴史を結びつける取り組みを強化したい。アンシェッタ島はその強力な出発点となり得る。
そこには、理不尽に拘束され、拷問と隔離に苦しんだ日本人移民の声が、廃墟となった収容施設の沈黙の中に今も響いている。それを守り、伝えることは、単なる記憶の義務ではない。真実を時代を超えて伝え、正義と教育への確かな約束へと変えていく行為なのだ。