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レジストロ清水家100年祝う=4世代230人超える家族に

2025年11月29日

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―北海道からブラジルへ、移民の歴史が紡いだ一世紀―1925年、北海道愛別町から旅立った清水家の三兄弟――宗二郎(当時29歳)、虎之助(25歳)、良則(17歳)とその家族計8人が渡伯してから、今年で100年を迎えた。それを記念する式典が15日、家族の原点であるサンパウロ州レジストロ市ラポーザ地区にある日伯文化協会で開催され、ロライマ州やリオグランデ・ド・スル州ポルト・アレグレなど国内遠隔地はもとよりオーストラリアからも親族が駆けつけ、およそ100人が集り、清水家の歩みが地域史とも深く結びついてきたことを印象づけた。

初代一行は1925年4月、凍てつく北海道を発ち、多くの友人に見送られながら愛別から神戸港へ向かった。5月12日、メキシコ丸に乗船。色とりどりの紙テープが舞う中、希望を胸にブラジルへと旅立った。7月15日、サントス港に到着。そこには先発していた杉之下新吉が待ち構えており、汽車でジュキアへ、さらに船でレジストロへと移動。馬車でたどり着いたのが、現在のラポーザ地区だった。

宗二郎・良則両家はその地に残り、茶の栽培に着手。1950年代には三つの茶工場を操業するまでに成長した。一方、虎之助は1927年に親族のいたリンスへ移り、コーヒー農園の開拓を進めた。こうして清水家は、ブラジルの日系農業史を語る上で重要な足跡を残してきた。

記念式典では、清水聖(70歳、2世)氏が家族の歴史を1885年から現在までたどり、またレジストロ日伯文化協会顧問の清水ルーベンス武氏は、日系移民史におけるレジストロ地域の重要性を強調。JICAの技術支援による持続可能な農業やジュッサーラ(ヤシ科植物)を中心としたアグロフォレストリーの取り組み、農村観光の現状を紹介した。

在サンパウロ日本国総領事の市山拓氏も来場し、家族が地域や国への貢献してきた歴史を賛辞する温かな祝辞で会場を沸かせた。式典の締めくくりには、IPHAN(ブラジル国家歴史芸術遺産院)により文化財に指定された清水家旧邸宅が公開され、100年の歴史を見つめてきた家屋の紹介に多くの参加者が静かに耳を傾けた。

清水聖氏の「先人の努力と決断があってこそ、いまの私たちがある。その遺志を継ぎ、ここからの一歩が大切だ」との言葉に、参加者の多くが深くうなずいた。移住開始から一世紀――ブラジルに根を張った清水家の物語は、4世代230人を超える家族とともに、今も脈々と続いている。



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