《寄稿》日本にあってブラジルにないもの=皇居、和暦、同調圧力、擬音語=サンパウロ市在住 毛利 律子
「日本にあってブラジルにないもの」の例を日常生活の中からいくつか選り取りし、その違いを楽しく学んでみたいと思う。
日本の顔・皇居
筆頭に挙げるとすれば、「皇居」を以てほかにないと思っている。そこは、日本の歴史と伝統文化の象徴として、実物を目の当たりに見ることができるからである。
そこは現在日本の中心である東京にある。JR東京駅丸の内中央口を出て丸の内仲通りを進み、皇居を前方に望みつつ、行幸通り(ぎょうこうどおり)をまっすぐに抜ける。長さ190メートル、幅73メートルの並木道は普段、歩行者天国歩道の並木道であるが、皇室の公式行事や外国大使の信任状捧呈式などに使われる由緒ある道路である。
皇居の方面には周りに高層建築物が一切ないので、空は抜けるように広く感じられる。皇居広場に近づくにつれ、身の引き締まる風格を備えた景観に圧倒され、心が震え、言葉にならない感慨が込み上げてくる。二重橋から皇居本丸を見上げると、おのずと首を垂れ合掌する。寺社仏閣でもないところで手を合わせるのは不自然と思いきや、意外に外国人も目を閉じ手を合わせている人も多いのである。
近年の戦争の歴史や思想的なものを超えて、見る者の心に厳粛な気持ちにさせる圧倒的な尊厳を醸す場所である。筆者は、王族のいる宮殿のある外国を観光したことがあるが、皇居と同じような感慨を抱くことはほとんどない。
個人的に率直に思うことは、旅行先の近代大国で感じるのは、国の大小、繁栄ぶり、国民性の良し悪しに関係なく、日本と比較した時に痛切に感じるのが、その国の「締まりのない」雰囲気だ。
2018年のことであった。ブラジル人の知人と共に皇居に向かっていた時のことであった。有名なビルの一階にある事務所から、きちんとした制服を着た3人の男女が掃除用具の入ったバケツを持って飛び出してきた。歩行者は気づかなかったが、何か道路にシミがつくような食べ物が落ちていたようだった。
それを、三人が這いつくばって洗剤で洗い落していた。その時、立ち止まって「ありがとうございます」「ご苦労様です」という人、あるいは無言で頭を下げて通りすがる歩行者の姿があった。全く野暮なことだと思ったが、雑巾を持った一人の女性にその理由を尋ねると、「歩く人が、気持ちが悪いでしょうから汚れを取っているのです」という返事であった。私たちは、思いがけなく目撃したこの光景は深く心に残った。
同行のブラジル人女性は、「いつもゴミをポイ捨てするブラジル人として恥ずかしい(envergonhada)…」とつぶやいていた。
この頃、私はサンパウロの自宅の通りを清掃している黄色い制服の清掃員に出会うと、必ず「オブリガード」とお礼の言葉を掛けるように努めている。するとブラジル人は皆、底抜けに明るい満面の笑顔を返してくれるのは、ブラジル人のとても良いところといえよう。
日本は西暦と和暦で年を数える
今年は西暦2025年、和暦では令和7年、日本の紀元法では皇紀2685年。身近なことでは、生年月日、入学、入社、結婚記念日、死亡年月日、先祖の命日など、年を数えたり、記録する方法のことを紀年法という。日本では西暦と和暦で表す。ですから、ブラジルのように西暦のみを使う異文化の人に日本の和暦を説明するのは、簡単ではない。なぜか。
まず、日本では西暦と共に、和暦(元号を用いる日本独自の年の数え方。例=明治、大正、昭和、平成、令和など)の二つの年号表記法が使用されているためである。
ここで改めて紀年法とは何かを短くまとめてみた。それは、大きく分けて3つの種類があり、紀元、元号(日本のみ)、循環方式がある。
紀元とは、代表的なのがイエス・キリストの誕生年を紀元1年とし、その前の年代を「紀元前」、紀元後は「Common Era(共通紀元・英語)」で今年は2025年である。日本で正式に使い始めたのは、1872年(明治5年)からで、日常生活に使われるようになったのは第2次世界大戦後からとなっている。
元号とは、君主(天王や王)の即位や事件によって改定される有限の紀年法。日本の昭和・平成・令和が代表的だが、現在世界で元号を取り入れている国は日本のみと言われている。元号の多くは君主制・王制・天皇制と結びついている。
大化の改新(645年)から、令和まで248個の元号が使われてきたが、一番長かったのが、昭和で64年、明治で45年、平成は31年であった。
以上の三つに加えて、現在は一般的ではないが、皇紀、すなわち皇暦/神武紀元がある。
初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年とする、日本独自の紀年法が皇暦・神武紀元である。西暦紀元前660年が皇暦元年とされている。戦後は西暦が基準になったため、ほとんど使われなくなったが、一部の神社等で使っていることがある。
以上、紀年法について述べたが、現在日本では、契約書や履歴書などでは、西暦と和暦を混在させず、表記を統一することが勧められている。
同調圧力社会のぎこちなさ
ブラジル日報12月2日号の『褐色の血(中)』、深沢編集長の書評を興味深く読んだ。その中に、作者の妻マリーナが日本に降り立ち、「日本人しかいない」違和感を吐露したという一文があった。移民大国ブラジルから小さな島国祖国日本の地に降り立って感じた移民の子孫ならでは素直な感想である。
同じように、デカセギの経験を持つ日系人から随分聞かされることは、祖国日本社会の「ぎこちなさ」である。それは何かというと、日本語を話せない彼らが、一生懸命習った日本語で会話したつもりが、全く相手に通じないどころか、かえって関係が悪くなるということだ。それは日本語表現のあいまいさだけでなく、社会に問題があるのでは、という感想である。
確かに、日本語は思ったことを率直に発言するというより、場の雰囲気を読んで言葉を発するという、難しい言語文化である、ということを知っておかねばならない。
日本は「すべてを語って説明しようとしない、余白のある言葉で相手を動かす同調圧力の社会」なのである。
要するに、聞く方は「言葉よりも先に、こちらが意図していることを察して動くこと」、「気配」という「空気感を読む」ことが大切である。つまり、「言わなくても分かるでしょう」と、日本文化は説明しすぎず、語りすぎず、言葉を渡すだけにして、あなたの想像力や感情を動かす社会であるのです。「ということを、あなたは知らなければならないのだ」とブラジル人に説明すると、こんな「トンチンカン」はないと呆れた顔をされた。
例を挙げると、日本のお葬式では他の人と同じように黒い服を着て出席し、「ご愁傷さまです」という一言に万感の思いを込め、静かに式に臨む。ブラジルのお葬式では原色の服、草履履き、後ろの席で大きな声でおしゃべり人がいることがある。日本ではもってのほかであり、「場の空気を読みなさいよ」ということになる。
日本で「気が利くね」と言われるには、言葉数は少なく、場の空気を察してあたりに最大限の気配り行為ができることが必要だ。
日本では、口では「粗品ですが」と贈り物を差し出すときも、実は相手の好みを察し、心のこもった贈り物を謹んで差し上げることが基本になる。
風邪気味の人が「無理しなくていいよ」とさりげなく言われた時、「そうですか」と言って休む人は「空気読めない人」というレッテルを張られるかもしれない。とはいえ、最近の日本人でもこういう傾向は多数派になっている。
このように、同調圧力の社会では、忖度(相手の心情を配慮して行動する)が必要とされ、相手の意図を察して、自分の意見や行動を合わせる。そういう社会では多くを語らず、その場の空気を読み、同調し、行動して示すということになる。
適切な同調圧力は、日本の和の文化や、周囲、相手との協調を重視する価値観など組織の結束力を高め、集団の秩序や協調性の維持にも役立つ。これは、小さな社会で考え抜かれた意識である。その一方で、同調圧力によって個人の意見が抑えられたり、新発想や多様性が失われてしまう問題点も指摘される。
このような社会は、日本に限ったことではない。アメリカ合衆国東部のボストン近郊にコンコードという町がある。アメリカが祖国イギリスと闘い独立戦争の口火が切られた町だ。そこはイギリス系アメリカ人のいわゆる「白人の町」だ。正に「白人しかいない」と言っても過言ではない。人口2万人足らずの町で、気質は日本人社会に共通するものをしばしば感じる。そのため、そのことを彼らに伝えると、欧州や、世界中の長い伝統歴史のある小国なども同じことだと一喝された。米国は移民社会と言っても、ブラジルとは相当な違いを感じる秩序優先社会である、と思う。
日本語の擬音語・擬態語
日本語には、曖昧さや余白、擬音語・擬態語、語順の自由、多彩な一人称表現などが重なり合うことで、独特の日本語ならではの表現世界が生まれている。そのため、外国語でこれらを表現するのは難しいといわれていたが、昨今は、世界中で日本文学が翻訳される時代となった。
中でも難解なのが、オノマトペだ。日本語には3千語以上の擬音語・擬態語があると言う。これらの言葉は、音の表現で情景や感情を瞬時に伝えることができる魔法の言葉である。
たとえば、
しとしと/きらきら/ざわざわ/しくしく/わくわく/さんざん/めめしい/どんより/ぶつぶつ・・・ほか、3000語あるそうだ。最近では、医療現場でオノマトペを使って医師に症状を伝えることも推奨されている。
日本語は一人称も多い
英語のI、ポルトガル語のEuに対し、日本語には驚くほど多くの一人称がある。
私/僕/俺/あたし/うち/わし/余/拙者・・・
この「たった一語の一人称」が、語り手の性格・距離感・立場までも表現し、日本文学の内面描写をより深くしているのである。
以上、ほんの少しではあるが、日常的に身近なブラジル人との日常会話で盛り上がる話題をいろいろと挙げてみた。
ブラジル「クルトゥーラCultura・文化」の語源が意味するものは、自国優先主義ではない
英語の「カルチャー・culture」は、ラテン語の「cultus」に由来する。「cultus」は「栽培」「耕作」「世話」「飼育」といった意味で「刃物」「鋤」「鍬」といった意味に行き着く。これは、自然な状態にあるものを「耕し(=修養し)」て、出来上がったものが「culture」である。よって、自国の文化が他に勝っているという考え方は通用しない。文化はその国の土地で耕されて生まれ、受け継がれた、その土地なりの文化だからである。
そして現代の「文化」の意味するところは、進歩や発展を含むものとして再定義され、多様に変化している。「文化」は各国で産み育てられた単なる伝統や習慣だけでなく、「文明の利器」とともに「civilization」の訳語として一般的に使用されるようになった。ブラジル文化と日本にルーツを持つ日系文化の融合は、伝統を尊重しつつも、ますます発展していく傾向にあるようだ。
【参考文献】








