《寄稿》母親の孤軍奮闘でない在外子育て=持続可能な支援体制の整備を=サンパウロ市 大橋友紀(ゆうき) 川妻由莉 田中優理花 西尾佳代子 鈴木友紀菜 山口庸子(あいうえお順)
(1)はじめに:繰り返したくない出来事
英国の邦人支援団体「なかよし会」は、一人の母親が産後うつで命を落としたことをきっかけに始まったと聞きました。その話を知ったとき、胸が締めつけられる思いがしました。サンパウロで駐在員家庭の育児支援の場「bebê会」を続けている私たちにとって、それは決して遠い国の出来事ではないからです。
2026年1月20日から30日にかけて行ったアンケートでは、65名中28名の方が回答してくださいました(回答率43%)。数字だけを見れば多いとは言えないかもしれません。でも、そこに書かれていた言葉はどれも切実でした。「不安です」というより、「もう限界に近いです」という声に感じられました。
「どの国にいても安心して次世代を育てたい」。この一文は、単なる悩み相談ではなく、生活そのものに関わる願いだと思います。子どもの命と成長を守ることは、母親個人の頑張りだけで抱えるものではないはずです。社会としてどう支えるかが、今あらためて問われていると感じています。
(2)アンケートから見えてきた日常
① 言葉と医療の壁
64・3%が現地で乳幼児健診を受けている一方で、その61・1%が日系・外国人向けクリニックを選んでいます。
「安心だから」というより、「不安だから他を避けた」という気持ちに近いのではないでしょうか。専門用語が飛び交う診察室で、十分に理解できないまま子どもの状態を判断しなければならない緊張感。聞きたいことがうまく言葉にできないもどかしさ。その積み重ねが、母親を静かに追い込んでいきます。
② 外に出にくい育児
78・6%が「子どもの遊び場が十分でない」と答えました。理由ははっきりしています。
▼治安への不安 72・7%
▼安全な公園の少なさ 77・3%
▼室内遊び場の不足 81・8%
「今日は外に出ようか」と思っても、まず安全を考える。結果として家にとどまる時間が長くなり、母と子だけの閉じた世界になってしまう。誰とも話さない一日が続くことも珍しくありません。
③ 日常が「判断」の連続になる生活
食生活でも、
▼食肉加工や衛生管理への不安 67・9%
▼農薬使用への不安 53・6%
日本では当たり前だった「買う」「食べさせる」という行為が、ここでは毎回「大丈夫だろうか」と考える作業になります。小さな判断の積み重ねが、知らないうちに心身をすり減らしていきます。
(3)「どこにも属しきれない」感覚
今回の調査で強く感じたのは、海外で子育てをする邦人家庭が、日本と現地の制度のあいだで宙に浮いているような状況にあるということでした。
◎ 行政サービスとの距離
住民票がないため、日本であれば受けられる保健師の訪問や細やかな保健指導はありません。在外公館は大切な存在ですが、主に事務手続きが中心で、日々の育児不安を相談できる公的窓口は実質的にありません。
◎ 情報がつながりにくい現実
医療機関や食材の安全性に関する情報は、先輩ママたちの善意の共有に頼っています。コロナ禍で対面の場が減り、その引き継ぎも難しくなりました。「知らなかった」が不安につながることも少なくありません。
◎ 苦渋の選択
現地に不安があるため、出産や育児の大切な時期に日本へ一時帰国する家庭もあります。その結果、父親と赤ちゃんが離れて過ごすことになり、家族の形にも影響が出ます。どれも簡単な決断ではありません。
(4)持続可能な支え方を考える
ボランティアの思いだけで続けるには、どうしても限界があります。だからこそ、いくつか現実的な形を考えてみたいと思います。
① 企業の立場からできること
駐在員を送り出す企業にとって、家族の安定は社員の働きやすさに直結します。拠点の提供や運営費の一部支援など、小さな後押しでも継続性は大きく変わります。中小企業も含めてゆるやかに連携できれば、負担は分散できます。
② 公的機関が「情報の窓口」になること
総領事館やJICA、日本の関係省庁が、現地支援団体を公式に紹介・後援する仕組みがあれば、利用する側の安心感は高まります。民間の取り組みを「公的に支える」形があるだけで、心理的なハードルは下がります。
③ 専門知見を、地域にどう返していくか
現地の保健システムをよく知る専門組織には、その知見を邦人コミュニティに少しずつ還元していただけたらと感じています。
たとえば、サンパウロ日伯援護協会が日本語で子育て関連の医療相談を受けられる体制を整えることができれば、状況は大きく変わるかもしれません。
言葉が通じる医療環境は、単に「便利」という話ではありません。母親が感じている不安をきちんと言葉にできること、それを医師が正確に受け止められること。その積み重ねが信頼関係をつくり、産後のメンタルヘルスの予防や育児不安の軽減、そして早期発見・早期対応につながっていきます。
アンケートでは、64・3%が健診を受けている一方で、その61・1%が日系・外国人向け医療機関を選んでいました。この数字は、「日本語で相談できる場」が強く求められていることを示しているように思います。
もしサンパウロ日伯援護協会が体系的に日本語での子育て医療相談を担うことができれば、それは単なるサービス拡充ではなく、在留邦人社会にとっての心の拠り所になるのではないでしょうか。
そして、その取り組みを日本ブラジル商工会議所や在外公館が後方から支える形が整えば、活動はより安定します。企業にとっては駐在員家族の安定は経営の安心につながりますし、公館にとっても邦人保護を予防的に強化することになります。拠点の整備や運営支援、情報共有の仕組みづくりなどが進めば、個人の善意だけに頼らない形へと発展させることができるはずです。
一つの団体だけで抱えるのは難しくても、医療機関、企業、在外公館がそれぞれできることを持ち寄り、ゆるやかに連携できれば、サンパウロの子育て環境は少しずつ良くなっていくと思います。そうした三者の協力こそ、今、現実的に目指せる一歩ではないでしょうか。
(5)おわりに:誰も一人にしないために
子育てを「個人の努力」に任せきりにすると、産後うつや育児困難のリスクは高まります。サンパウロで生まれた「bebê会」や「Hug」の動きも、できれば一過性のものにしたくありません。
世界のどこにいても、安心して命を育める環境があること。それは日伯両国にとっても、未来世代にとっても大切な基盤です。
海外で子育てをする母親が、夜に一人で涙をこぼさなくて済むように。そのために何ができるのかを、みんなで少しずつ考えていけたらと思います。









