坂本大臣「先輩、元気ですか?」=日下野理事長と力強く抱擁=熊本県人会で盛大に歓迎会

「やあ先輩、元気ですか」――坂本哲志農林水産大臣は、日下野良武ブラジル熊本県文化交流協会理事長にそう声をかけて力強く抱擁した。日下野さんはそばにいた山室絢秘書に、「お前も」と声をかけて3人が仲良く肩を抱き合った。11日午前11時半、サンパウロ市の熊本県人会館前に大臣の車が到着して、車から降りて来た直後のことだった。同協会(寒野正留会長)は同午前11時30分から午後0時30分まで、同会館で熊本県出身の坂本・大臣の歓迎昼食会を開いた。
3人は熊本学園大学付属高校の同窓生だった。日下野理事長は同校の一期生、坂本大臣は8期生、山室秘書は36期生という。
日下野さんは仕事の関係でちょうど50回訪日した。そのたびに坂本衆議員と山室秘書に会っては食事などをして友好を深めていた。そのたびに3人は「いつかブラジルで会いたいなあ」と夢を語り合っていたという。
日下野さんは「まさかこの年になって、このタイミングで、農林水産大臣になった坂本衆議院議員に会えるとは夢のようだ」と熊本もっこすの目に涙を浮かべた。

歓迎昼食会は安武誠相談役の司会で始まり、寒野会長が歓迎祝辞を述べた後、坂本大臣が、「皆様に会えることを楽しみにしておりました。今朝、慰霊碑に献花して、移民史料館を見学し、リベルダーデのスーパーマーケットを視察してきました。一緒に食事ができることは、感無量です。私は1950年11月6日に熊本県菊池郡陣内村(現・大津町)に生まれ、熊本学園大学付属高校、中央大学を出て熊本日日新聞社で記者を15年勤めました。県会議員を4期13年務め、国会議員に当選し、現在7期目に入り、農林水産大臣を務めさせていただいております。農水産業は後継者が少なくなっていること、気候の変動が激しくなっていること、海流にも異変が起きて魚が取れなくなってきていることが問題です。
日本からブラジルへの移民が始まって116年となり、熊本県人の移住は1908年19家族78人が『笠戸丸』に乗船し50日以上かけてサントス港に到着したことが始まりと聞きます。移民は熊本県が一番多く、移民の父・上塚周平も熊本県人です。今日、リベルダーデで胸像を見てきました。熊本県の皆さんのおかげで日本とブラジルが強くつながっていることが分かり、誇りに思っております。皆さんの力で、経済と政治をどんどん発展させていただきたい。熊本の子どもたちを将来ブラジルに送りたいと思います。私も日伯両国、両地域が発展するように頑張ります」と歓迎を感謝するあいさつを述べた。

記念の集合写真を撮った後、大臣は一人一人に「農林水産大臣」と書かれた名刺を全員に渡し、数名ずつ記念写真を撮っていた。