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寄稿=「ロックの日」に想う=音楽がつないだ日伯の物語=奥原マリオ純

2025年7月18日

ベースを演奏しているのがアンドリア・ブジック(写真提供レカ・スズキ)
ベースを演奏しているのがアンドリア・ブジック(写真提供レカ・スズキ)

 7月13日「ロックの日」は、世界中のロックファンにとって特別な日ですが、今年はさらに特別な輝きを放っています。というのも、今年は、日本とブラジルが友好通商条約を締結してからちょうど130周年にあたる節目の年。その記念すべき年に、ブラジルのハードロック界を代表するベーシスト、アンドリア・ブジック(Ultraje a Rigor)が初のソロアルバム『Life as it is』を発表したのです。

 収録曲のひとつ「Blades of Rising Sun(昇る太陽の刃)」では、和太鼓や三味線といった日本の伝統楽器が取り入れられ、サムライの精神をテーマにした壮大な楽曲となっています。この曲は、アンドリアが日本文化への深い親しみを込めて制作したもので、彼が〝ブラジルのルシアー(弦楽器職人)のサムライ〟と称するセイジ・タジマ氏のSeizi Guitarsとのコラボレーションによっても生まれました。

 アンドリアと、その実弟ドラマーのイヴァン・ブジックは、1980年代からブラジルのロックシーンを牽引してきた存在です。Platina(1984年)、Cherokee(1988年)、そしてギタリストのワンダー・タフォと共に結成したTaffo(1991年)などを経て、1992年にはSuplaとの共演も果たし、ついにDr. Sinを結成。ワーナーミュージックと契約し、翌1993年にはハリウッド・ロック・フェスティバルでNirvanaやRed Hot Chili Peppersと並んでモルンビー競技場のステージに立ちました。私もその観客のひとりとして、その歴史的な瞬間を目の当たりにしました。

 それから7年後、彼らは私の〝アミーゴ(友人)〟となりました。

 2000年、私はバンデイランテス系列の「カナル21」で放送されていた文化番組『Imagens do Japão(日本の映像)』の第3作目となるドキュメンタリーを制作していました。『Shamisen para Sempre(永遠の三味線)』と題した約45分の作品で、三味線や沖縄の三線など、日本から移民たちが持ち込んだ楽器を通じて、移民の歴史を紐解くものでした。

 そのラストシーンで、私はある「音楽的なメッセージ」を描きたいと考えていました。それは、日本とブラジルの融合を象徴するもの。しかし、ボサノヴァで締めるのはあまりに通俗的すぎるし、坂本九の「上を向いて歩こう」のカバーでは、「またか」という印象を与えかねません。必要だったのは、〝ロック〟、しかも日本の伝統楽器とロックを融合させたものだったのです。

 当時、私が知っていた唯一の例は、1990年代に日本で活動していたバンド「武蔵(Musashi)」。和楽器とハードロックを組み合わせた先駆的なバンドでした。さらに時代を遡れば、1967年にギタリストの寺内タケシが、民謡をエレキギターで演奏したという実験もあります。けれども、ブラジルでは誰もその方法を知りませんでした。

 そんな中、ブジック兄弟はこの〝前人未到の挑戦〟に快く応じてくれました。彼らは仲間であるギタリストのキコ・ルーレイロ(Angra、現在はMegadeth)、ヴォーカリストのアンドレ・マトス(Viper、Angra、Shaman)を招集。沖縄県人会の太鼓と三線の演奏家たちと共に、沖縄民謡「島唄」をハードロックに大胆にアレンジし、見事な融合を成し遂げました。

2000年、日本館で演奏されたハードロック版「島唄」のユーチューブ動画(https://youtu.be/i5YZhIEwohM)
2000年、日本館で演奏されたハードロック版「島唄」のユーチューブ動画(https://youtu.be/i5YZhIEwohM)

 それから四半世紀が経ち、いまや異文化の音楽コラボレーションはごく当たり前となり、世界中で日本の伝統楽器を取り入れたロックが奏でられています。しかし2000年当時は、誰も歩んでいなかった道だったのです。アンドリアとイヴァンの勇気ある試みによって生まれた「島唄」のロックアレンジは、今聴いても新鮮で、力強さを感じさせます。YouTubeで公開されている当時の映像は、日伯友好130周年という節目にあって、あらためてその象徴的な価値を帯びています。

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島唄の演奏者に演出指示をする奥原さん(左)

 そして今、「Blades of Rising Sun」で再び三味線と太鼓がロックに響く姿は、まるであの夜の続編を見ているようでもあります。アンドリアとイヴァン・ブジックは、単なるハードロックのアイコンではありません。彼らは、ブラジルと日本を〝音楽でつなぐ橋〟を確かに築いたのです。

 「Blades of Rising Sun」は、ロックが単なる音楽ジャンルではなく、〝異なる世界を結ぶ共通語〟であることを証明しています。

 25年前、私はその場にいました。そして今も、ロックと共にあります。

 ロックよ、永遠に!


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