ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(269)
沖本磯満という元戦勝派が居て、評論新聞というタブロイド版数頁の情報紙を発行していた。
これが水本とサンパウロ新聞を宿敵としていた。評論新聞で、生涯攻撃を続け、その中で円売り問題を屡々蒸し返した。
円売り以外でも、サンパウロ新聞の内情を暴露していたが、驚くほど正確であった。それを漏らしていたのが、水本が信頼していた社員だった━━のが後に判ったという様な話もある。
沖本は、そこまでやっていたのである。
沖本が新しく事務所を開いた時、水本は祝いに金一封を届けたことがある。懐柔しようとしたのであろう。
その時、二人は、評論新聞の記事には触れず、穏やかに談笑を交わしていたという。
が、沖本が、水本とサンパウロ新聞に対する攻撃を止めることはなかった。
前出の日伯毎日新聞の中林敏彦も、読者欄で、仮名で、水本の円売りの一件を折に触れ、つついていた。
そういうこともあって、円売りの一件は、何十年経っても、消えることはなかった。
対して、水本は表向きは平然としていた。
水本は、既述した様に、アクリマソンに大邸宅を建てたが、これは誰の目にも、おかしかった。
彼は、新聞社や旅行社を経営していたが、そんな大邸宅の建設費など出る経営状態ではなかったからである。
ために、彼に関する諸々の良からぬ噂は、やはり事実だったのか…と世間は思った。
しかし、水本は世間がそう思うことは承知の上で、時々、その大邸宅に多くの客を招いて、パーテーを催していた。
そのパーテーに、ある時、南米銀行の総帥橘富士雄がやって来て、入口で、
「男は家を建てたらおしまいダナ」
と大きな声で言い、それを耳にした人々をビックリさせたという。
この場合の家とは、無論、この種の大邸宅のことである。
しかし水本は、その後も健在であった。
反水本派が、それをどうすることもできなかったのは、方法がなかったことによろうが「ブラジルでは悪いことができなければ駄目」という諦観の様なものが一般にあることにもよろう。
話が逸れてしまったが、戦後の円売りは、円を売ったのが別の人間であったら、小さな事件として直ぐ忘れられたであろう。
ともあれ、かくの如きであり「戦中・戦後を通じて、円売りはあったが、ごく小規模なもので数も少なかった。が、それに伴って発生した二次現象の方が大膨張し長期化した」という結論になる。
国民前衛隊
奇矯事は、まだまだ続いた。
円売りの発生から三年後の一九五〇年十一月。突如、ポルトガル語の新聞各紙が、
「マリリア警察が、国民前衛隊という名の戦勝派五十数人を逮捕した」
と報じた。
「臣道連盟の復活」
と、見出しを掲げた新聞もあり、読者を驚かせた。
この前衛隊は戦勝論を唱え、武器を貯蔵、暗殺リストを所有、檄文まで用意していたという。
檄文には、
「敗戦論者を抹殺せよ」
などとあり、末尾には、
「陸軍情報部 日本陸軍憲兵 山岸中尉」
の文字があった。
このニュースは無論、翻訳され邦字新聞でも、報じられた。
警察は当初、色めき立ち、逮捕者を厳しく追及したが、結局、前衛隊の目的は、日本の戦勝を信じる同胞を騙して金銭を巻き上げることにある、という結論に落ち着いた。
マリリアだけでなく、アマゾン方面まで行って金を集めていたという。
二年後、さらに残党十人が逮捕された。マリリア警察は、逮捕した隊員を起訴しようとしたが、裁判所は一九五五年、全員の釈放を許可してしまった。なんともワケの判らない幕切れであった。詳細に関しては資料を欠く。(つづく)