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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(351)

2026年3月3日


 が、二人は、これを承諾しなかった。ある委員は、後に筆者に、

 「ゼルヴァジオの野郎、ワシらが辞めろ、と言っているのに、辞めるとは言わないンだ!」

 と罵っていた。もはや野郎呼ばわりであった。

 しかし、ここで誰もが「おかしい!」と気づくであろう。

 一九八七年と同様、選挙管理委員が、選挙の内容を操作しているのである。彼らが、監事会の描いた図式に加担していた…というカラクリが浮かび上がってくる。

 こういう事もあったという。

 「老兵は消えるべきだ」

 前記のIが組合本部

の中を、こう声高に言いながら歩いたというのだ。「老兵」がゼルヴァジオと小川を指していることは、誰にも判った。

 驚くべきことは、まだ続く。そのIが委員会の席上「各委員は、それぞれの所属する単協、本部直属組合員グループが、ゼルヴァジオと小川さんの再選を支持するかどうかを調べ、次の委員会の席上で発表する」という方向へ、議事を誘導したのである。

 この時は、その突拍子のなさに驚き、反対した委員も一、二居たが、押し切られた。

 調査の結果は、不支持が過半数を占めていた。

 北パラナ、聖西そして北パラナと密接な単協が、不支持に回っていた。

 ともかく、こういう選挙管理委員会というのは、前代未聞であった。その委員の一人だった田畑実は、

 「今思えば、コチア史上最悪の選挙管理委員会だった」

 と語っている。(一九九三年談)

 会長、専務の退陣・相談役就任の根回しには、選挙権もない人間も加わっていた。組合本部の一部幹部・中堅職員である。

 彼らは、地方の組合員代表と接触する機会が多かった。その代表たちは、もともと本部内の事情に暗い。だから本部で何かの会議があって出席すると、困惑する。

 そこで本部に着いた彼らを、予め関連部門の幹部・中堅職員が、自分の机の側に招き、会議の内容を易しく説明する。自然、その職員たちが、彼らを一つの方向に誘導することが可能となる。

 会長・専務の相談役就任に関しては、この手で、地方の組合員代表を動かしていた。

 ゼルヴァジオと小川は(自分たちが運営審議役の選挙に立候補すれば、以前の様に上位というわけには行かないだろうが、当選する)自信はあった。しかし、説得を何度も受ける内、ゼルヴァジオは心が傾いて行った。(この辺で、代わった方がよいかも…)と。

 相談役は引き受けるつもりであった。存亡の淵に在るコチアを放って去ることはできなかったのである。

 小川は、説得に来る人々に、

 「専務は辞めてもよいが、相談役なんかには、してくれなくともよい」

 と、ふて腐れていた。

 その渦中、もう一つの動きが浮上してきた。

 問題の翌一九九〇年三月の総会の役員改選で、運営審議役に、ケイロウが立候補するというのである。

 ケイロウが属する南パラナ単協、そして北パラナ単協が推薦に動いていた。(サンタ・カタリーナ州で営農しているケイロウが、パラナ州の単協に属する、というのはヘンだが、サ・カタリーナの組合員は数が少なく、単協を構成することが出来ず、隣接する南パラナ単協に属していた)

 ケイロウが立候補すれば、当選は確実であり、当選すれば、さらに執行理事会の三役となる可能性が強かった。

 一九八一年の専務解任事件に連なる導火線上の地雷が、また火を噴こうとしていた。

 立候補への経緯は、本人の話によると、こうである。

 「九〇年の役員改選が近づいたころ、南パラナ単協で、私の名前が、審議役の候補として出始めた。単協の理事長からも、出ないか、という話があった。

 その頃、私は組合の赤字(財務危機)のことを薄ら薄ら知っておって、放っておいたら大変なことになるナ…と心配していたので、私でよかったら、やってみようか、と。もう一つの単協(北パラナ)からも推す、という話があって…」

 北パラナで、再度のケイロウ返り咲きを運動していたのは、松原宗孝である。松原は、他の単協のリーダーたちにも協力を求めていた。(つづく)


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