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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(383)

2026年4月17日


 しかし、それは銀行界全体が、数年前からそうで「平均して融資の二〇㌫は、問題ある債権になっている」と消息筋から推測されていた。

 南銀の場合は一二㌫くらいで、十分な抵当を取っていた。三年計画で処理する予定であり、大きな不安は抱いていなかった。中銀の監査官も、その点は特に触れなかった。

 ところが、四カ月後の十月、突然、再度の監査が入った。今度は二〇人ほど来て、何事かを調べ始めた。

 南銀側は、この時も特に心配はしなかった。

 しかし、その判断が間もなく覆される。作業が終了した十二月、彼らのリーダーが口頭で要旨、こう告げたのである。

 「南銀には三億四、〇〇〇万レアルの問題ある債権がある。従って、相当分の貸倒引当金を積み立てよ。

 その結果、自己資本比率が減少、BIS規制を満たせなくなるので、二億五、〇〇〇万増資して満たすか、他の銀行と合併せよ」

 貸倒引当金とは、債権が回収不能になった場合に備えて、積立てておく資金のことである。

 BIS規制とはBIS=国際決済銀行=が定めた「国際業務を営む民間銀行の自己資本比率に関しての規制」の略である。総資産に対して最低一一㌫の自己資本を持つことを義務づけていた。

 それを満たせなくなる分二億五、〇〇〇万は、当時の南銀の資本金二億三、〇〇〇万より多い金額であり、増資で満たすなど、とうてい不可能であった。

 他の銀行との合併は…これは合併という言葉を使用しているだけで、実質は身売りを意味した。 

 南銀側にとっては、そのリーダーが何か間違いを犯しているのでは…と疑ったほど、意外極まる要求だった。

 何故なら、問題ある債権については、(前記の通り)十分な抵当を確保してあり、別個に貸倒引当金を積み立てる必要はない──と思っていたからである。が、そのリーダーは積み立てることを要求した。そんなことを決めた規定はなかった。

 しかし翌年一月、中銀から、十二月のそれと同趣旨の要求が、文書で通達された。南銀にとっては突如、存亡に関わる事態となった。

 急遽、伝田耕平社長と倉持が、ブラジリアへ飛んだ。中銀本部で、この一件を管轄する部門の担当理事に会うためである。

 二人が会ったのは、マウシというガウーショ(リオ・グランデ・ド・スール州人)であった。

 ちなみにガウーショは政治性が強く、精力的かつ野心的といわれる。

 事実、マウシはそういう印象を与える外貌の男であった。年齢は四十代くらいに見えた。南銀側の二人は六十代であった。

 二人は、息子の様な歳のマウシに、

 「問題ある債権には、十分な抵当を確保していること」と「貸倒引当金の積立てに関する自分たちの見解」を述べ、三年の猶予を求めた。その間に問題ある債権を処理するから…と。

 が、意外にもマウシは机をバンッと叩いて一蹴した。

 瞬間、二人は相手が予想外の強硬さで、この件に対していることを知った。

 「日系コロニアに於ける南銀の存在の重要性」も説いたが、これも、

 「関係ない!」

 の一言でハネつけられた。

 さらにマウシは、

 「増資か合併か、一カ月以内に決定、その後一カ月以内に実行せよ」

 と要求した。

 無理難題だった。が、ここで喧嘩別れしたら、マウシが南銀の営業を停止する危険があった。

 これより少し前、一小銀行が、経営改革に関する中銀の要求を拒否、営業を停止され顧客の預金を凍結される──という事件が起きていたのである。

 窮した二人はサンパウロに戻り、元中銀理事の横田パウロに問題解決の協力を求めた。二人は横田とは親しい間柄であった。

 横田はデルフィン元蔵相の側近だった。それとデルフィンがサンパウロ大学教授時代の教え子が伝田で、その縁で南銀を訪問したこともあった。

 このデルフィンと横田なら中銀への影響力がある筈だった。

 しかし、

 「普段は友人面(ヅラ)をしている人間というものは、本当に困った時は、助けてくれない」

 と悟らされた…と倉持は苦々しく言う。

 南銀は以後、預金者保護を、第一に考えて行動した。

 同時に各支店を通じ、主要株主に、資本金の倍額増資を諮った。が、全く可能性無し!という反応が出た。

 次に筆頭株主である富士銀行に「南銀の買収」を打診した。が、当時、日本はバブルがはじけ、金融界も混乱の中にあった。

 残るは第三者への身売りである。その候補として、最初に選んだのが、国内民間銀行三位のウニバンコであった。(つづく)


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