ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(377)
筆者は、後に、ゼルヴァジオを取材中、彼が──相談役時代を振り返って──こんなことを呟くのを聞いたことがある。
「…○○部門の人間が製品の一部をセン・ノッタで販売、その売り上げを仲間で分配した。それを知った他部門の連中が真似をし始めた。すると、売るものが無い○○部門の連中は銀行からの融資を…。
一九九〇年から九三年の間に四、八〇〇万㌦もの金が…。
それを小川さんが調べてワシの所に知らせてきた」
右の内、伏せ字にした部分は業務部門、セン・ノッタとは「税務処理用の伝票なし」のことである。
この横流しの話は、他の人間からも聞いた。
これは、雪崩現象の様相を呈していたという。もはや止めても止まらない勢いであったようだ。
四、八〇〇万という金額も、九三年までの、しかも把握できたものだけであったろう。
瓦解というなら、以上の様な惨状こそ、赤裸々に瓦解を表現する現象であったろう。
かくの如き過程で、
「コチアは、もう駄目だから、船を沈める様に、沈めてしまえ、ということになった」
とある幹部職員は、後年、筆者に回想している。
九四年七月二十九日、コチアは臨時総会を開催、イリネウの会長辞任を承認した。
さらに定款を変更、運営審議会の定員を三人とし、下元ケイロウ、岩城修、前田イサオを選出、その互選により会長はケイロウに決定した。
ケイロウは、遂にコチアの頂点に立ったのである。十三年前の専務解任の恥辱は雪いだことになる。
しかし皮肉なことに、その最初の仕事は父親たちが創立、ブラジル最大、ラ米最大と言われるまでに発展させた組合の解散であった。
新審議役は、すでにスールに倣って自主解散をする方針を決めていた。
それに基づき四、九〇〇人まで減っていた従業員の全員解雇を発表した。
弁護士八〇人と契約、終戦処理を行う方針も決めた。
さらに(これ以前に外部の会計事務所に依頼して進めていたという)コチアの決算書の洗い直しの結果として、
「一九八五年まで溯って調査した結果、五億㌦の粉飾があると指摘された」
と、公表した。
磁気テープ事件
この頃、銀行団がコチアから債権を回収するための新たな方法を発見していた。組合員から取り立てるという方法である。
それは法的に可能であったという。
銀行には法務部というものがあり、くすんだ存在であるが、その部員は給料確保のため、家族を養うため、それなりに働かなければならない。コチアに関しても、組合法に関する資料を漁り、その方法を見つけ出したのであろう。
そして銀行は、組合員のモビメント(事業量)に応じて、組合の債務を分担させようとした。
これが実行されていたら、組合員は甚大な被害を受けたであろう。残り少ない資産を掻っ攫われていたかもしれない。
銀行団の使者が、そのモビメントに関する資料を入手するため、コチアの本部のコンピューター室に入った。が、磁気テープが存在しなかった。
本部内を捜索したが、見つからない。
やがて、二〇㌔以上も離れたモイーニョ・ヴェ―リョの試験場に移されていることが判った。
これを入手、コンピューターで再生しようとした。
が、文字が殆ど消えていて読み取れなかった。
当時の磁気テープは、一定の温度以下の状態で保管しておかないと、文字が消えてしまうものだった。
試験場の温度は、それを越していたのである。
銀行団は、なんとか再生しようとしたが、莫大な費用がかかり、採算がとれないことが判った。
結局、諦めた。
組合員は救われた。
ここで、疑問になるのが、組合本部のコンピューターの傍に保管されてあるべき磁気テテープが何故、遠くモイーニョ・ヴェーリョの試験場…それも一定の温度以下に保つことができない場所に移されていたか、ということである。
誰かが、意識的に、そうしたのである。
想定できるのは、相当の権限を持つ人間が、銀行団の動きを知った時、コンピューターの専門家に、
「何か良い方法はないか?」
と訊き、その専門家が、
「磁気テープを一定の温度以上の場所に置けば、自然に文字は消える」
と教えたという筋書きである。無論、教えた方は、
「このことは私は忘れる。人から訊かれても知らない、と答える」
と断ったであろう。
そこで、その「相当の権限を持つ人間」は磁気テープを試験場に移した。
無論、これは事実が明らかになれば、刑事事件に発展したであろう。が、そうはなっていない。
詰問された場合は、
「組合内部が、混乱状態にあったので、貴重品である磁気テープは、破損や盗難に備えて、別の場所に移した。温度のことは知らなかった」とでも答えたのであろう。
ともあれ、この奇手により、多くの組合員は、その資産を失う危機から逃れた。
磁気テープを移動した人間は恩人ということになる。彼は組合員を救うために、そうしたのである。(つづく)









