クリチバ文援協の舞踊への思い=第60回パラナ民族芸能祭舞台裏(下)

第60回パラナ民族芸能祭での日本チームの出番は、7月19日午後8時半からの予定。本番を前にした同日の昼過ぎ、クリチバ日伯文化援護協会(クリチバ文援協、吉田ロベルト・イサム会長)関係者が集まる舞台裏の楽屋を訪れた。
日本チームのコーディネーターを務める大嶋裕一さん(68歳、熊本県出身)は、司会を務める大嶋晴男(はるお)さんの伯父に当たり、民舞愛好会の『東京音頭』で三味線を生演奏するという。「(クリチバ文援協の)各グループとも、今回のコロナ騒ぎで人が減りましたが、3年ぶりの民族芸能祭を『また、頑張ってやりましょう』という気持ちが強いです」と率直な気持ちを語る。
生長の家のコーラス部に所属し、38年間にわたって日本語教師を行っている笹谷(ささや)聖子さん(79歳、2世)は、60年前の第1回民族舞踊祭に参加した経験がある。「その頃はまだ(グァイーラ)劇場が出来ておらず、今の座席部分はセメントの上に板を置いて座り、皆さん座布団を持って行きましたね」と振り返る。
夫の笹谷宏一さん(81歳、2世)は同コーラス部に関わって60年。ボランティアで指揮者として活動してきたほか、編曲も手掛ける。「若い人を後押しし、バトンタッチしていきたい」と話していた。
日本の進出企業で働き、日本語教師の経験もある鈴木・小川ホザネ共代さん(55歳、2世)は、クリチバ文援協の経営副部長も兼任している。サンタ・カタリーナ州ラーモス移住地出身で、1986年にクリチバに出てきたという。子供の頃から踊りが好きだったが、昨年からようやく時間的な余裕ができたこともあり、日系踊り会に入会した。
そうした中、今年2月に肩の腱(けん)が切れる怪我を負い、民族芸能祭への出場を一時は諦めていた。しかし、指導者の花柳龍千多さんから「大丈夫、大丈夫」と励まされて、他のメンバーとともに今回の舞台を踏むことに。「踊りを続けたお陰で良いリハビリにもなり、自分のペースで踊れるようになりました」と喜んでいた。
龍千多さんが「日系踊り会」とともに指導している「民舞愛好会」最高齢の梅沢ツネさん(95歳、福島県出身)。背筋がピンと伸び、矍鑠(かくしゃく)としている様は、とても90代半ばとは思えないほどだ。30歳で渡伯し、60歳の時に夫を交通事故で亡くしたが、クリチバ文援協の老人会で2人目の夫と知り合い、70歳で再婚。後夫(ごふ)は今年3月、103歳の長寿をまっとうしたが、生前は98歳までゴルフを楽しみ、趣味の写真撮影でパソコンを使用するなど元気に活動していたという。梅沢さんは「体のためにも頭のためにも、踊りが一番」と言い、3年ぶりの公式舞台を前に落ち着いた様子で話してくれた。
民族舞踊祭の司会を40年にわたって行っている田丸ラウラさん(2世)は、パラナ連邦大学外国語センター(CELIN)の日本語担当教授として34年間勤務し、昨年からパラナ技術連邦大学で文化・語学を担当している。7月19日の日本チームの公演でも司会を務め、舞台上で、31年間にわたってクリチバ文援協に日本舞踊を指導してきた龍千多さんに敬意を表した。
龍千多さんには当初、クリチバ市議の瀬戸ノリヤス氏の推薦により、同市議会から表彰状が贈られる予定だった。しかし、10月に行われる選挙の問題等から、当日の舞台では龍千多さんへの感謝の気持ちを込めた花束が贈られた。
龍千多さんは今回の3年ぶりの本格公演を振り返り、「本当に良かった。自分が好きな日本舞踊を教えることで、こちらも良いエネルギーをもらうことができ、幸せです。約30年クリチバに通って家族のような付き合いとなりましたが、ここまで継続することができたのは(門下生それぞれの)旦那さんたちの理解もあるからで、そのことにも感謝しないとね」と充実した表情を見せていた。(おわり、松本浩治記者)