連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第45話
バルゼン・グランデ日本語学校の創立は一九三四年なので、私が生まれた年である。第二次世界大戦中は日語教育は敵性語として、四年間位ブラジルの官憲のにらみが厳しく大変だったそうだけれど、各地単位に隠れて授業を続けたとか。日本人の子弟の教育に対する熱意には頭が下がる思いである。終戦後は日語教育の解禁で、その復活がめざましく、バルゼン・グランデも文化協会がその運営母体となり、近隣のイビウーナ、ピエダーデ、その他の地域を包含した。スドエステ(聖南西)連合会が組織された。そして、その活動も野球や陸上競技のスポーツ、作文発表、林間学校、その他、あらゆる交流が持たれる様になった。
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