少数でも同窓会の継続を誓う=ブラジル帯畜大同窓会

ブラジル帯広畜産大学同窓会(板垣隆会長)が、2月9日、サンパウロ市のニッケイパラセホテルで開催された。約1年ぶりに集まった同窓生4名とその親族ら13名は、これまでの同窓会の思い出を語り合い、近況を報告し合った。
会の冒頭、板垣会長(63、北海道、畜産生産科学科、1984年卒)は「母校出身の移住者はほぼなくなり、年々メンバーも減少していますが、残り少ない仲間でも同窓会は続けていこうと思います」と挨拶した。前回、2023年9月に開催された同窓会には、新制帯畜大一期生で最年長の永田直春さん(95、神奈川県)と井田義郎さん(94、東京都)が参加していたが、今回は体調不良で参加を見送った。二人は70年前、25歳でアメリカ丸に乗り、ブラジルに渡った。
今回の同窓会では、6月に日本に拠点を移す予定の飯崎貞夫元会長(84、北海道、酪農学科、1963年卒)の送別会も兼ねて開催された。飯崎さんは大学卒業後、ヤクルト商工株式会社に入社。1968年には移民を覚悟でブラジルヤクルト商工株式会社の創業時代から尽力した。その後、副社長を務め、1992年には和牛の血統の輸入登録に成功。1994年にはブラジル和牛生産者協会(ABCBRW)を設立し、ブラジル産和牛の功労者として広く知られている。

同窓会で飯崎さんは、ブラジルにおける同校ネットワークの足跡について振り返った。1979年に西川義正学長(当時)がブラジルを訪れたことがきっかけで、広大なブラジル全土で農牧業に携わる同窓生たちが結びつき、年に一度集まって悲喜こもごもの話題を交換し、共感し合ってきた。
参加者の一人、大浦格さん(65、長崎県、環境学科、1982年卒)は、「ブラジルに来た翌日には飯崎先輩を訪ね、37年間お世話になってきました。当時は皆、夢と希望に燃えていました」と回想した。
飯崎さんは、妻の久美子さんと結婚して2カ月後から今日まで、ブラジルで生活を続けてきた。久美子さんは、故・小笠原義元さん(酪農学科、1957年卒)の妻、泰子さんとは偶然に神奈川県で学生時代からの同窓生で、これまで夫婦でともに同窓会を楽しみにしてきた。
また、マラニョン州ロザリオで農業を営む山崎孝志さん(70、愛媛県、獣医学科、1979年卒)は、日本の公務員生活を経て、現地の農場主となった。これまでに銃撃戦に巻き込まれたり、直接狙われたりして3度も銃弾を浴び、そのうち1発の弾はいまだ体内に残ったままだという。奇跡的に生還した体験を語ると、誰もが固唾をのんで聞き入った。

参加者には、現在JICAボランティアとしてサンパウロの日本語普及センターで活動する帯広市出身の松田亜弓さん(33)も含まれていた。松田さんは十勝毎日新聞社で4年間帯畜大の取材を担当し、永田さんや飯崎さんと同じ帯広柏葉高校の同窓生であることが判明。「今日は貴重な出会いがたくさんありました。皆さんからもっとお話を伺いたいです」と目を輝かせた。