みずほ村入植90周年記念式典=法要、大鳥居記念テープカット=関係者約300人が参列

サンパウロ州サンベルナルド・ド・カンポ市のみずほ文化協会(小野田貢会長)は5月25日、同市瑞穂山・浄心寺で「みずほ村入植90周年記念先亡者追悼法要」を行い、同協会り敷地入り口で鳥居記念テープカット式、同協会会館で「みずほ村入植90周年記念式典」を行った。
法要には約100人が参列し、モジダスクルーゼス本願寺の清水円了住職が導師を務めた。清水住職は瑞穂山・浄心寺の元主管。田曽泰三さんが司会を務め、小野田会長挨拶の後、上野美佐男・瑞穂村入植90周年記念祭典委員長が「90年前、10家族の方々が大変な苦難の中、尊い血と汗を流し開拓の斧を振るい、この地を拓いてくださいました。先駆者の皆さんのご苦労をしのび、その功績をたたえ、心より感謝の誠をささげます」と追悼の言葉を述べた。
清水導師は「モジへ転勤になり21年ぶりにこうして縁をいただき、喜んでおります。78年前、藤永謙輔、山口新助、木本佐一、橋本虎吉さん4人が還暦のお祝い返しとして建てられたのがこの浄心寺です。心を浄らかにしてくださる寺です。昔は『親孝行したい時には親はなし。されど墓に布団も着せられず』と親を偲んでいましたが、今は『親孝行したくもないのに親がおり』などと言い、寂しい限りです。『這えば立て、立てば歩めの親心』と言って親は我が子の成長と幸せを願って育てます。この世でこんなことを思ってくれるのは親だけです。それが今では『親殺し、子殺し』で世も末です。原因は人間の邪見驕慢の心です。『仏ほっとけ』と仏様の教えを聞こうとしません。90年を迎え、亡き親、ご先祖、先輩の方々が、子や孫、後輩の私たちに何を願い、何を望んでおられたかを心静かに思わせていただきたいものです」と軽妙な語り口で法話した。
その後、みずほ文化協会の小野田会長、蕪木マルガレッチ婦人部長、井上幸みずほ福寿会副会長、安藤美和子瑞穂浄心寺代表、ブラジル山口県人会の伊藤紀美子会長ら約100人が焼香した。みずほ村には山口県出身者が多い。

11時半から、90年を記念して新築された高さ・幅6メートルの大きな鳥居のテープカットが南ヒロユキ・サンベルナルド・ド・カンポ市議会議員、小野田会長、清水僧侶、上野実行委員長ら5人によって行われた。清水僧侶は「鳥居の外側が俗界、内側は境内・神域と言って神聖な場所です」と説明。一同は一礼して鳥居をくぐった。

正午から会場を会館に移し、「みずほ村入植90周年記念式典」が行われた。
小野田会長は「1935年5月7日、ブラジルに第二のふるさと建設のため、志を共にし、開拓の希望に燃えた10人の人たちがみずほ村建設の第一歩を踏み出されました。以来、90年の長い歴史を積み重ね、本日このように盛大な記念式典を挙行することができました。不安定な環境で苦闘する時期もあり、特に第二次世界大戦後の立ち退き命令に苦闘の日々が続き、口では言い表せないほどの苦労がありました。1960年から70年代のみずほ村は養鶏の最盛期で、一大養鶏村として知られるようになりました。しかし1974年にイミグランテ高速道が開通し、みずほ村がアンシェッタ高速道に挟まれると、工場の進出が急速に進み、北伯からの出稼ぎで人口が激増し治安が悪化、地価高騰で離村者が続出し、現在村内居住者は2家族のみとなりました。みずほ村の姿は消えましたが、先駆者の残された共有地を活用し、先駆者の志に思いを寄せ百周年に向かって会員一同努力して参る所存です」と百周年を見据えて、あいさつした。