ビラ・プレジデンテ死去=リオのサンバ界の重鎮

サンバ歌手で、リオのカーニバルの人気ブロッコの創始者としても知られるビラ・プレジデンテ(本名ウビラジャラ・フェリックス・ド・ナシメント)が14日、リオ市の病院で亡くなった。88歳だった。15日付アジェンシア・ブラジル(1)が報じている。
1937年にリオ市で生まれたビラ・プレジデンテは幼い頃からサンバの洗礼を受け、1950年代後半に兄弟や友人たちと共に街頭演奏グループ「オスオーメンズ・ダ・カヴェルナ」を結成。これが1961年に、後にリオのカーニバルのブロッコを牽引することになる「カシケ・デ・ラモス」に発展した。カシケはバフォ・ダ・オンサと共にリオのカーニバルのブロッコを代表する存在となり、その両グループによる抗争もしばしば話題となった。
1978年には、サンバの伝説的歌手ベッチ・カルヴァーリョの名作アルバム「デ・ペー・ノ・ション」にカシケのメンバーがバックで全面参加。ビラも全曲でタンバリンを叩いている。
1980年代に入ると、ビラはカシケのメンバーたちとサンバ・グループ「フンド・ダ・キンタル」を組んでレコード・デビュー。80年代も有数なサンバの人気グループとして知られ、数多くのヒット曲を生み出した。(2)
ビラの死後は、主に音楽界から多くの追悼の辞が送られたが、ルーラ大統領も「ブラジルサンバ界のアイコンで、民衆文化を新しい次元にまで導いた存在だった」と語り、追悼している。(3)