梨園の妻になった日系3世=歌舞伎の世界を日伯両語で発信=第2回=どうやって歌舞伎役者になるのか?=青木夕実

つい先日、連日大賑わいの歌舞伎座での八代目尾上菊五郎さん、六代目尾上菊之助さんの襲名公演が幕を閉じました。
今、日本では歌舞伎の血筋を持たない人間が歌舞伎役者として芸を極めるまでの姿を描いた、映画『国宝』が静かな熱狂を呼んでいます。観客の多くが、鑑賞後に思わずSNSで長文の感想を綴っています。あまりに心を揺さぶられたその余韻を、誰かに伝えずにはいられないのです。
そんな思いがまた新たな観客を呼び寄せ、劇場へと足を運ばせる──いま、そんな連鎖が生まれています。「この映画を見たら、本物の歌舞伎を見てみたくなった」という声も多く、歌舞伎への関心を高めるきっかけになっているようです。
日本での公開に先立って開催されたカンヌ国際映画祭でもスタンディングオベーションが起こったそうです。歌舞伎を知らなくても世界中の観客に届く何かが、この作品にはあるのでしょう。
原作は作家・吉田修一氏による小説です。吉田氏は取材のため、歌舞伎俳優・中村鴈治郎さんの黒衣として舞台裏に身を置きました。黒衣とは、黒ずくめの衣装で舞台上に現れ、役者の補助や道具の出し入れを行う裏方のことです。観客からは〝見えない存在〟とされますが、芝居を支える大黒柱のような役割を担っています。
物語は、門閥の外から歌舞伎の世界に飛び込んだ一般人の少年・喜久雄と、名家の御曹司の対照的な二人が役者として成長していく姿が描かれています。才能、友情、嫉妬、世襲と努力、継承と革新。芸の世界を生きる人々の光と影が、丁寧に、どこか哀しく、美しく描かれています。
そんな物語を観たあと、ふと浮かんでくる素朴な疑問──「現代の歌舞伎役者って、どうやってなるのだろう?」皆さんはご存じでしょうか。
その道は大きく二つあります。一つは、歌舞伎役者の家に生まれること。いわゆる御曹司です。現在、歌舞伎役者はおよそ300人。そのうち100人ほどが、世襲の役者たちです。
歌舞伎役者の家に生まれた子どもたちの多くは、まず、本名のまま「初お目見え」を果たします。台詞がないこともありますが、正式な衣装をまとって舞台に立つ晴れの場です。2歳で初お目見えを果たした例もあり、まさに伝統の継承は息を呑むほど早く始まります。
その後、一定の年齢になると芸名を名乗り「初舞台」に立ちます。ここで、名跡を継ぐか、新たな名前で歩み出すかが決まり、本格的な役者人生が始まります。
もう一つの道が、家柄に関係なく、自らの意志と努力で歌舞伎の世界に入る方法です。
国立劇場には歌舞伎俳優養成所があります。ここでは、所作や発声、楽屋作法などを二年間徹底して学びます。高校生、大学卒業生、社会人経験者──出身はさまざまですが、共通するのは「芸に生きたい」という真剣さです。現役の俳優の約3分の1がこの養成所の出身です。
また、直接役者に弟子入りするという道もあります。芸名を名乗るまでには年月を要しますが、師の背中からすべてを吸収していく濃密な日々です。

いずれにしても、師匠に付き、楽屋の雑務や身の回りの世話をこなしながら、芸を一から学びます。
さらに、子役から歌舞伎の舞台に立つ道もあります。歌舞伎座が運営する「こども歌舞伎スクール寺子屋」では、未経験の子どもでも応募でき、所作や台詞を学びながら、舞台に立つチャンスを得られます。
そして、子役の時分から幹部俳優の楽屋に預けられる「部屋子」という立場もあります。かつては住み込みでしたが、いまは通いが主流です。その家の流儀で芸を学び、やがて養子となることもあります。
養子として名跡を継ぐ際には、正式に戸籍を移す場合もあれば、芸養子としてその家の名を背負うこともあります。血のつながりはなくとも、その重責は計り知れません。
映画『国宝』では、御曹司と部屋子という異なる立場の二人がライバルとして子ども時代を共に過ごし、芸を通じて切磋琢磨する姿が描かれています。現代では、外部からの新しい担い手は年々少なくなっているのが実情です。だからこそ、この作品のような物語は、ある意味で〝今では叶いにくくなった理想〟として、どこか切なくも映ります。
それでも、歌舞伎という芸能がこの先も続いていくためには、多様な出自を持つ新しい世代の力が欠かせません。映画『国宝』がきっかけとなって、歌舞伎を志す子どもが増えてくれたら。そしていつの日か、ブラジル生まれ、育ちの少年が歌舞伎の舞台に立ちたいと思ってくれたなら──相撲に魁聖関がいたように。
その瞬間は、伝統と異文化が出会う、静かで強い感動の光景になることでしょう。
この映画が、その未来の扉を開けるきっかけになりますように。
ブラジルでも公開されましたら是非ご覧ください。