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我れ、生まれ出づる国を訪れる6=ポルト・アレグレ=杉村士朗

2025年7月15日

 香港には3泊した。

 私が横浜で乗船したオランダ船は、その後、大阪、那覇(ボリビアへ移民する沖縄県人が乗船した)、香港へ寄港したので、当時の思い出をたどりたいとの思いで、再訪した。

 しかし、路上の安宿の客引きにまんまと引っかかってしまった。

 料金自体は安かったので、3泊分全額の前払い要求に応じた。ところが、いざ便所付きプライベートルームと称される部屋に入ると、四方を壁に囲まれ、便所に通気用小窓があるだけで、まるで監獄の独房のようだった。

 そこで、一泊分はやむを得ず払うが2泊分の返金を要求したが、宿主は頑として応じなかった。

 私の徹底した貧乏根性と、受け取った金は絶対に手放さないという相手の強欲が合体共存して、結局私はその独房に3泊4日滞在することとなった。

 こういったわけで、「香港旅行は移民船の船底の蚕棚床はよかったなあ」という思い出になってしまった。

 香港からホノルルへ向かった。

 空港には多数の中国人、中国系アメリカ人が出迎えに来ていた。

 そのうちの一人が、リュック姿の私見て、日本語で話しかけて来た。

 日本語は、中国本土で学んだとのことでワイキキ海岸の片隅にある中国人経営の安ホテルの手伝いをしているが、そこまで自家用車で送るから一泊60ドルで泊まらないかとの話であった。

 私にとっては、空港からワイキキへ行く手間が省ける上、宿泊料金も手頃なので「3泊したいが、支払いは部屋を見てからにする。仮に宿泊しない場合は、そのホテルまでの送り料金を払う」との条件をつけたところ、「問題ない」とのことだったので、即断した。

 相手は、私の他にもホテルを決めていない旅客がいるかどうか様子見をしたのち、私一人を乗せてホテルへ直行した。

 今回は、私の即断即決に誤りはなかった。

 ワイキキ海岸は、日本人旅行者で満ち溢れていた。

 海岸を散歩していると、ショートパンツ姿の若いアメリカ人女性が「パーオニイサン」と呼び掛けて来た。

 その筋の女性とすぐに察しがつくので、私は無視した。しばらく歩くと、地味な服装をした小柄で生真面目な表情の若いアメリカ女性が日本語で話しかけて来た。

 「コンバンワ、オニイサン」

 私は、歩みも止めず、返事もしなかった。

 「コレカラドチラヘ、イカレルノデスカ?」

 「・・・・・」

 「ワタシワ、ビジネスガールデス。コレガワタシノメイシデスドウゾ」

 「ノーサンキュー」

 「マタ、ドウシテデスカ?」

 「ノーサンキュー」

 「ココニ、ワタシノアドレスト、デンワガアリマス。ヨロシカッタラ、ワタシニ、オデンワヲ、クダサイ」

 「ノーサンキユー」

 私は彼女との会話をすべて「ノーサンキュー」の一点張りで断ったが、その日本語はその構成、発音、抑揚といい、実にりっぱな日本語であった。いったい彼女は、どんな素性を持ちどこで学習したのか?

 私はそれを知りたい好奇心をそそられたが、それ以上の深入りはしなかった。

 翌日の昼下がりの街角では高校生ぐらいの年頃の娘を持つと思われる3人の日本人男性が、きらきら光るドレスを着用した一人の金髪の豊満な娼婦を取り囲んで、英語で商談に励んでいた。

 「オトウサン」達は、いずれも両手をズボンのポケットに突っ込み、大福様のような笑顔をしていた。

 「オトウサン」達が長年連れ添う「オカアサン」を国において来た(私の想像)解放感と金髪女性と一夜を過ごすという【日本男性の一生の夢】実現を目前にして、絶大な幸福感にひたっているのは、理解できる。

 しかし、3対1とはなんだ?1対1では対等の交渉ないしは取引が出来ず、何事にも大勢を頼りにする日本人根性の現れなのか?


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