site.title

特別インタビュー=イヴァン・リンス、日本公演大盛況=生誕80周年記念ツアーで

2025年9月27日

心地良さそうに演奏するイヴァン(撮影:佐藤拓央)
心地良さそうに演奏するイヴァン(撮影:佐藤拓央)

統計開始以来、最も暑い夏となった今年の日本。厳しい残暑が残る9月上旬、東京・南青山のジャズクラブ「ブルーノート東京」で、伯国を代表する音楽家イヴァン・リンスの公演が行われた。生誕80周年記念ツアーということもあり、来日を熱望する日本のファンにとって特別な夜となった。今年、日伯友好130周年という記念すべき年を迎え、長年にわたり日本におけるブラジル音楽の人気を支え続けてきたイヴァンに話を聞くことができた。長旅の疲れを一切見せず、まるで自身の家に招き入れてくれたかのように、温かく迎え入れてくれたことに感謝したい。

— 日本公演の初日、あなたはブルーノート東京オールスター・ジャズ・オーケストラと共演しました。日本のミュージシャンと共演した感想を聞かせてください。

今回共演したエリック・ミヤシロ率いるバンドとは以前も一緒に演奏していますが、素晴らしいバンドです。今回は一夜限りの共演でしたが、いつか一緒にアルバムを作ってみたいですね。

— 日本と伯国の聴衆の違いは?

日本人は歌詞を知らないこともあり、ブラジル人のように一緒に歌うことはありません。でも日本のファンは僕をとても大切にしてくれると感じます。世界各地で演奏していますが、特にブルーノート東京はこういったジャンルの音楽では最も優れた会場の一つです。細かな配慮、食事、音響、居心地の良さなど、全てが素晴らしいと感じます。

— 2011年、東日本大震災が起こった際、あなたは日本人を励ますために「上を向いて歩こう」を録音し、YouTubeにアップしました。曲はすでに知っていたのですか?

はい、ブラジルで最も有名な日本の曲ですね。僕がこの曲を聴いたのは18か19歳ぐらいの時かな。(曲を口ずさみながら)とてもきれいな曲ですね。この録音では、ハーモニーを自分流にアレンジしています。

— あなたが音楽の道に進もうと決めたのはいつですか。

69年に大学院でセメントの研究を始め、学生をしながら音楽をやっていました。僕とロナルド・モンテイロの共作「Madalena」をエリス・レジーナが歌いヒットしましたが、父親に「音楽は安定しない。エンジニアのような安定した職につきなさい」と何度も言われ、化学エンジニアの職を探していました。ある日、大手セメント会社の面接に行くと、最高経営責任者に迎えられたのです。面接後、彼にサインを3枚お願いされ「あぁ、自分はもう有名人なんだ」と思い、音楽で生きていこうと決心しました。その後、TVグローボの番組出演が決まり、人生初の仕事として労働手帳に判子をもらいました。父親はそれをよく思っていませんでしたが、自分には音楽しかないと信じていました。

— ジルベルト・ジルやミルトン・ナシメントが舞台を引退する中、あなたを始め、ネイ・マトグロッソなど現役で積極的に活動しているミュージシャンもいます。あなたの意見を教えて下さい。

僕は自分がやっていること、つまり音楽が大好きです。作曲するのも大好きですが、最近はショーが多いので時間がありません。旅をすることも好きです。80歳になり、50歳の時のようにはいかず疲れることもありますが、まだ自分の音楽を聴いてくれる人と共有したいと思っています。僕は聴衆とコミュニケーションをとるためにショーをやっているのです。

— 80歳になった今も、偉大なアーティストであり続けるために必要な心身を維持する秘訣は何ですか?

やっていることを好きになること。そうすれば体が従ってくれます。自分でも80歳と感じないことがありますが、80歳って、もう100歳に近い! それでも、まだ発表していない曲がたくさんあって、自宅で録音して保管しています。音楽は自分にとって第六感です。なくては生きていけません。

それと、スポーツは自分にとって良い効果がありました。僕の家族はスポーツが好きで、僕自身はバレーボールのプロになりたいと考えたこともあります。音楽で有名になってからもビーチバレーを楽しんでいたので「あなたはピアニストなのにバレーをやって大丈夫なの?」と声をかけられることもありました(笑)。今でもたまに運動をします。僕は食べることが大好きなので、健康のためには必要です。

満員になったブルーノート東京の様子(撮影:佐藤拓央)
満員になったブルーノート東京の様子(撮影:佐藤拓央)

— 近年、テクノロジーのおかげで私たちの生活は便利になっています。音楽もAIを使って楽曲ができる時代です。音楽におけるテクノロジーについて、あなたの意見を聞かせて下さい。

人間的でないため、好きではありません。音楽は人間の心による産物です。なぜなら、音楽には生まれた時から芸術を創るまでの軌跡が含まれているからです。音楽だけでなく芸術全般に言えることですね。どのように感じるか、どのように人格が形成されて特徴となるか。その人生の結果。音楽は真の肖像画なのです。

例えば、もしあなたが僕の曲を好きならば、僕のことも好きでしょう。僕の音楽は僕自身そのものだからです。それと、僕は昔から孤独を怖いと感じることがあります。だから仲間と一緒にいることが好きなのです。今日、ここであなたたちと知り合うように、新しい出会いも好きです。仲間には家にいるようにくつろいで欲しいと思っています。

だからAIが好きになれないのです。偽物で心がない。お金儲けのために作られたものです。音楽は、心があり、動脈に血液が流れるように、人の温もりを感じるものでなければなりません。

— 最後に、日本のファンへメッセージをお願いします。

僕は日本が大好きです。自分ができる限り、これからも日本で歌い続けたいと思っています。僕の目的は音楽の美しさを聴き手に届けること。聴いてくれるすべての人々の役に立つことを願っています。

イヴァンは東京公演後、金沢と群馬でのコンサートも大盛況のうちに終え、帰国した。年齢を感じさせず、デビュー当時から変わらず遊び心があり、聴く人に情熱を届けるステージは、まさにプロフェッショナルで完璧であった。来日したバンドメンバーの中でも、長年にわたりMPB界を支え続けてきたベテランドラマーのテオ・リマには特に熱い声援が送られた。

公演初日にオーケストラの一員としてイヴァンと共演したサックス奏者の鈴木圭氏(静岡県)は、「お話ししている時の穏やかな雰囲気から一転、歌声はまさしく私たちが知るパワフルなイヴァンそのもの。全ての音に感動しっぱなしで最高のひとときでした」と伯国の偉大な音楽家を称えながら振り返った。

父の反対を押し切り、プロになってから55年間ノンストップで活躍しているイヴァン。まだ新しいプロジェクトをやりたいと意気込んでいる彼の目は、少年のように輝いていた。伯国では10月10日にベロオリゾンチで公演が行われる。(文:島田愛加 協力:ウィリー・ヲゥーパー)


イヴァン・リンス

1945年リオデジャネイロ生まれ。18歳の頃、サンバジャズを演奏するタンバ・トリオに魅了され、独学でピアノを始める。リオデジャネイロ連邦大学で化学工学を専攻する傍ら、音楽フェスティバルに出演。その後、長年のパートナーとなる作詞家ヴィトル・マルチンスとのコンビで次々と名曲を生み出し、ノヴェーラのテーマに起用されるなど国内でその名を広めていった。複雑なハーモニーながら親しみあるメロディは、世界的に有名な音楽プロデューサー、クインシー・ジョーンズの目にとまり、海を超えて活躍するようになる。日本でも高い人気があり、多い時には年に2回の来日公演を行っている。


【コラム】奥原マリオ純=(17)ブラジルに生きる「ニホンジン」の記憶前の記事 【コラム】奥原マリオ純=(17)ブラジルに生きる「ニホンジン」の記憶
Loading...