ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(356)
結果は、会長は片山和郎(前審議役)、三役は理事長片山和郎(前副理事長)、副理事長内海アメリコ(前理事)、専務理事高野実(前理事)と出た。皆、職員出身で二世だった。
なぜ、この三人だったのか?
これには特別の理由があったわけではない。会長・専務退陣推進派は、この選挙も成行き任せであった。
因みに、審議役選で落選した北パの理事長については、事前に「会長に…」と推す声もあった。が、落選してしまった以上、どうにもならなかった。
ところが、後日、この会長候補が、日本へ出稼ぎに行ったというので、北パの組合員たちは、唖然としていた。出稼ぎが悪いというのではないが、会長候補にそれをやられては、情けなかったのである。
そういう人間を会長候補に推したこと自体、いい加減過ぎる話だった。
つまり、右の役員改選の質は、この一件にも露呈していた。
総会の数日後、三役以外の理事の指名が行われた。
理事会の定員は(事前に定款が変更され)十人となっており、三役以外の七人は、今回は──審議役からではなく──組合の幹部職員から選ぶことになっていた。
前回までは、組合員=農業者=の審議役からも選ばれていたが、
「百姓では、理事は務まらない時代がきている」
という認識によるものであった、
その七人は三役が人選、審議会の承認を求めることになっていた。
三役は局長七人を人選した。
ところが審議会で七人の内の一人に関し反対意見が出て紛糾した。
休憩時間になって、出席者から、それを知らされた当の岸野晴彦は、
「今は、組合が大事な時期で、ゴタゴタすべきではない。また、審議役の支持がなければ、仕事はできない」
と、自分の名前を外す様、申し入れた。同時に組合も退職した。
以後、一農業者としてバナナづくりに従事する。
ただ代わりに理事となった人物は、組合員と悶着を起こし続け、途中で辞任することになる。
さらに他の理事も──三役を含めて──多くはその職がまともに務まらなかったことが、やがて判明する。
つまり「百姓では、理事は務まらない時代がきている」という理由で、そうした理事会の新人事も空転する。
それは後日の話として、右記の総会・役員改選が終わって、しばらくしてから、組合員たちの中から、
「果たして、これで、よかったのか?」
という声が上がっていた。が、よい筈はなかった。
どこの企業であれ、総会・役員改選というものは、予め、その企業の置かれた状況を正確かつ大局的に捉え、以後の事業方針案とその舵取りのための候補者を用意して行う──というのが常識である。
ところが、今回の場合、それらしいそれは殆どなかった。
この総会・役員改選は、巷間に揣摩臆測を呼んだ。
特に、コチアの象徴的存在であった会長ゼルヴァジオの更迭は異様な印象を与えた。
ために二カ月後の五月、新役員会は邦字紙記者を招き、改選の説明を行った。その折の記事によれば、席上、組合側は要旨次の様に説明している。
「改選は、時代の変化と厳しい経営環境に対応しようとしたものである。
『二十一世紀へ向かう組合』が、現在のモットーであり、それを実践するために、経営者は二十歳は若返らねばならない」
内情を知るものからすれば、失笑を禁じえぬ内容だった。
しかも、そのモットーを実践するための政策は、何一つ明示されていなかった。
ついでながら、コチアに二十一世紀は無かったことが、三年後にはハッキリする。
やはり幻想だった!
やはり一九九〇年三月、首都ブラジリアでは、四十歳になるかならぬか…という若きコーロル新大統領が誕生した。
それ以前は全く無名の人物であった。しかるに国民が彼を大統領に当選させたのは、
『もしかしたら、大破局に呻吟するブラジルの救世主たりうるかもしれぬ」
という幻想を抱いたからである。
誰もが救世主の出現を希求していた。無名の人物に対しても…あるいは無名だからこそ…それを期待したのかもしれない。奇跡が起こるかもしれない、と。
そこまで、この国は追い詰められていた。
ともあれ颯爽と登場したこの新大統領は就任直後、いわゆる「コーロル・プラン」を発表、国中を騒然とさせた。
ゼーリアという、これも三十代の若き女性経済相(蔵相の権限を拡大して改称)が、そのプランを作成・発表した。
内容は超ハイパー・インフレを止めるため「国内の銀行にある預金の大部分を封鎖する」という極端なショク療法であった。(つづく)









