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ブラジル日系社会=『百年の水流』(再改定版)=外山脩=(352)

2026年3月4日


 この頃、ゼルヴァジオは、心労の極にあった。難聴がひどくなり、体力も衰えていた。超ハイパー・インフレは収まる気配はない。銀行への負債は、毎日恐るべき勢いで膨張中である。組合員に対する焦げつき債権の回収は進まない。地方では、アチコチで組合員が組合を訴えている。いずれも対策は立たない。不名誉な退任をしなければならない。その上、また「ケイロウ立候補」という新しい頭痛の種が生まれた。

 ある日、ゼルヴァジオは組合の用事で、コンゴニャス空港で小型機を借りて、地方へ飛んだことがある。出発を待つ間、こう呟いた。

 「飛行機が墜ちればよい。総てが終わる……」

 総てが…というのは、自分の苦しみが…という意味であろう。

 随行していた幹部職員が、そばで、これを聞いていた──。

 筆者は十八章でゼルヴァジオの「幸運過ぎるほどの幸運さ」に触れたが、晩年に至り、運命の歯車は逆転していたのである。それも、物凄い勢いで…。

 そうしたゼルヴァジオであったが「ケイロウ立候補」に関しては、煩悶の末、一つの決断をした。それを選挙管理委員会に、こう告げた。

 「ケイロウが選挙に出るという噂があるが、事実なら、ワシも立つヨ」

 組合の財務危機問題は、お家騒動に脱線してしまっていたのである。

 

 スール、崩れた神話

 

 同時期、スール・ブラジルも、追い詰められていた。

 スールは、前にも触れたように、経済専門誌EXAMEの「農畜産部門・国内最優良企業」に二度(一九八五、八七年)選ばれた。その八七年の折のEXAMEの記事の中に、次の様な一節がある。

 「実際のところ、自己資本で経営をすることは、スール・ブラジルの一つの執念となっている…(略)…特に政府が、長期融資を殆ど停止した現在に於いては、堅実な経営体にとっては、自己資本で事業推進を図ることが、残された唯一の手段である」(文中「長期融資」は、正確には「長期・低利融資」であろう)

 が、皮肉にも、その執念となっていた自己資本比率は、八七年から急減して行く。同年、前年の七〇㌫台を割り、八八年は五〇㌫台へ下がり、八九年には四〇㌫台へ落ち込んだ。

 これは八七年、第二次プロデセールでの融資遅延で、ホット・マネーに手を出した結果である。

 ほかにも訳があった。組合員に対する債権が焦げつき、資金繰りが逼迫、やはりホット・マネーに手を出していたのだ。

 焦げついた理由は、コチアの場合とほぼ同様である。

 スールの八七年の事業報告書は、

 「借金を残すか、資産の売却という倒産寸前の状態に追い込まれた農家も少なくない筈」

 と記している。

 組合財務のバランスは急速に悪化した。その損益計算書を見ると、八六年までは経費中に占める「借入金の支払い利子」は一㌫以下であった。が、八七年には五㌫を越し、八九年には、なんと四二㌫になってしまっている。

 スールの堅実経営の神話は、まず財務面で崩れていたのである。

 スールは、事業量も八七年以降、毎年、減少していた。これは組合員の組合離れも大きく影響していた。

 スールという組合は「真面目」というイメージが社会的に根づいていた。ために世間は、ごく自然に「組合員は、組合に対して忠実であったろう」と、思い込んでいた。

 しかし実は、生産物の抜け売り、営農資材の組合外からの購入が急増していた。

 当時の笠原専務理事は、後に、こう筆者に語っている。

 「例えば、一九八六年、組合員からの強い要望で、月産二万㌧の肥料工場を建設することになった。それが無ければ、我々は組合についていけない…とまで組合員が言ったからだ。

 土地を買い、慎重を期して、第一次計画として月産一万㌧を予定し四、五〇〇平方㍍の広さの工場を建設、機械も備え付けた。

 が、イザ操業を開始すると、組合員の肥料の購入は、生産量の半分にも達しなかった。ためにコストが高くつき、採算がとれなくなった。

 ほかにもカフェー精選工場など色々な施設で、同じ様なことが起こった」

 スールの組合員は、八九年の事業報告書には一万〇、五〇〇人と記されている。が、実は、組合を利用していたのは、その三分の一、さらに戦力といえるのは、数百人でしかなかった。(つづく)


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