《寄稿》「怨念は百年眠らない」=夏目漱石の『夢三夜』から=抹殺の記憶は100年経っても消えない=サンパウロ市在住 毛利律子
一世紀前に発表された夏目漱石作品の恐怖
夏目漱石の『夢十夜』(ゆめじゅうや)は、明治41(1908)年、『東京朝日新聞』に連載された作品である。これは、現在(明治時代)を起点に、神代・鎌倉・100年後と、10の不思議な夢の世界を描いた連作である。その中でも「第三夜」は、記憶に深く刻まれ、離れないほどに恐ろしい。
何が怖いのか。それは、人の恨みが100年経っても消えないという事実である。しかも「どちらかに味方する」という単純な構図ではない。双方が深く傷つき、救われる者がいないという教訓を、読む者に体験させる構造になっている。
そして、100年も経てば忘れられるのではない。むしろ100年を経て、より根深く、より不気味に蘇る。人間は、言葉にできないほどの恐怖体験を、決して忘れない。たとえ健康で、成功し、豊かな人生を送っていたとしても、過去の恐ろしい記憶は消えない。そこには必ず、因果応報が待ち受けている。
そのおぞましい人間の業を、漱石は3人の登場人物に語らせる。人間の持つ残虐さ、無念さ、復讐に至る悲しみは、100年経っても消えない。その恐ろしさを、読む者の心に刻みつけるのである。
第2次世界大戦が終わって、まだ100年は経っていない。人類は未曽有の豊穣の時代を生き、幸福を享受しているかに見える。しかし今起きている戦争は、まるで100年前のツケが回ってきたかのように、「怨恨」をより醜悪な形で増幅させている。
なぜ怨恨は増幅するのか。それは、世界中が映像を通じて惨状を記憶しているからである。その記憶はやがて形を変え、「怨恨」の種となって撒かれる。そしていつか、自分に返ってくるかもしれない。あるいは、知らぬうちに身近な誰かの恨みを買っているかもしれない――そんな不安が、静かに胸を締めつける。
この恐ろしい物語は、次のように始まる。
登場人物は3人。6歳の男の子、「怨念」の塊となった男、その子を背負う男(親)である。
薄暗い田んぼの畦道を、男は子供を背負って歩いている。その子は確かに自分の子である。しかし不思議なことに、いつの間にか眼が潰れている。頭は剃りたてで青々とし、つるりとしている。
男が「おまえの眼は何時潰れたのかい」と問うと、「なあに昔からさ」と答える。
声は子供だが、言葉遣いはまるで大人である。しかも対等だ。
左右に青田を見ながら細い道を進む。薄闇の中に白鷺の影が浮かぶ。
「田圃だね」と背中で子供が言う。
「どうして解る」と振り返るようにして聞くと、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答える。実際、鷺が二声ほど鳴いた。
男は、背中の我が子に恐怖を覚え始める。こんなものを背負っていて、この先どうなるのか。どこかで捨てられないかと考える。道の先には、闇に沈む大きな森が見えた。
あそこにしよう――そう思った瞬間、子供が「ふふん」と不気味に鼻を鳴らす。
「何を笑うんだ」子供は答えない。ただ「とっつあん、重いかい」と聞く。
「重かあない」と言うと、「今に重くなるよ」と返す。
男は黙って森を目指す。畦道はうねり、思うように進まない。やがて道は二つに分かれる。男は分かれ道に立ち、息をつく。
「石が立っているはずだがな」と子供が言う。
見ると、八寸角ほどの石が立っている。左に日ケ窪、右に堀田原と刻まれている。薄闇の中で、赤い字が異様に鮮やかだ。まるでイモリの腹のような色をしている。
「左がいいぞ」と子供が命じる。左を見ると、黒い森が迫る。男は一瞬、たじろぐ。
「なに、怖がっているんだよ」と子供が言う。
男は仕方なく森へ向かう。しかし心の中では、「このめくらめ…」と思う。すると背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と子供が言う。
(また読まれたか…)
「負ぶってやっているんじゃないか」
「ありがたいが、馬鹿にされている気分だ。親にまでな」
「くそっ、早く捨ててしまおう」
「もう少し行けば分かる。――丁度こんな晩だったな」
「何がだ」
「知っているじゃないか」
男は曖昧に、しかし確かに知っている気がする。だが思い出したくはない。思い出す前に捨ててしまいたい。男は歩みを速める。
雨が降り出す。道は暗くなる。無我夢中で進む。背中の子は張り付き、自分の「過去、現在、未来」を暴き出そうとする。しかもそれは自分の子であり、盲目である。
男は耐えきれなくなる。
「ここだ、ここだぜ。杉の根のところだ」
声がはっきりと響く。男は足をすくめる。引きずられるように森へ入る。
「御父さん、その杉の根だね」
「うん、そうだ」と思わず答える。
「文化5年辰年だろう」
確かにそう思える。
「おれを殺したのは、今から丁度100年前だ」
その瞬間、100年前の闇の夜、この杉の根で盲目の男を殺した記憶が、忽然と蘇る。
自分は人殺しだったのだ――そう気づいた途端、背中の子が石地蔵のように重くなる。
以上が、短くも不気味な物語のあらすじである。
改めて振り返ると、物語は100年後の世界である。背負われた6歳の盲目の子は、見えないはずの風景を語り、大人の口調で過去を語る。男は記憶を取り戻し、その瞬間、子は重くなる。
なぜ「100年」なのか。
「ここで会ったが100年目」
これは落語や講談の仇討の場面で必ず登場する「100年もたったが忘れていないぞ、お前の命運も尽きたぞ。覚悟しろ!」名セリフである。
ここで、なぜ私たちは「100年」を区切りの良い単位として用いるかを考えてみた。
まず、一世紀を100年とする。それは、社会や制度・文化・国民の心理の変化の単位として切れが良い。世代が入れ替わる長さとしてバランスの良い単位となっているようだ。数年だと個人や出来事の影響がなまなましく、500年だと遠すぎ、100年は「変化の見える」単位として、実感できるながさである、ということのようである。
過去を見返す「区切り」としては、歴史年表、学校教育、自治体の記念事業、憲政や法律の節目などは、年号で語りやすい、ということ。
将来的な「長期目線」を語るのにちょうど良いながさでもあるようだ。
人は未来について不確実である。すると、「それなりの時間」を設定しようとする時、100年が「短くも長すぎでもない」ため、長期計画や理念(例:継承、復興、文化の持続)を語るのに、100年単位が最も使いやすい、ということのようだ。
過去の経験を比較するときに、100年は「同じ条件が繰り返す」ことが多いというより、一世紀を100年と区切り、体制の変化を「比較する」のに都合がよく、周期性や法則を感じやすい。
最後に、100年という「語感」が記念日に向いているということ。「百周年」は言いやすく、覚えやすく、祝いやすい。宗教行事や伝統、企業の周年文化などと相乗りして、定着しやすい数字である。
さらに、天候・気候の長期の揺らぎ、洪水・干ばつの歴史記録を見ると、研究者は「だいたい100年くらいの間隔」に見えるらしい。大国が興亡するのも、100年くらいの周期ということである。
戦争の悲劇の怨念は消えない
今、テレビ、ネットを見れば戦争の話題だけである。為政者たちがあらゆる最新兵器を使って、敵国を殲滅(敵や対象を完全に破壊・排除すること)する様子を見るのは、心底、気分が悪くなる。
なぜこれほどまでに人を、国を抹殺することに、何のためらいもなく、まるでゲームを楽しむように、「ならず者」のように、行き当たりばったりで数千人単位で人を抹殺し、国を潰そうとするのか。
今現在戦争中の近代国家は、敵を「完全に破壊・排除」して決着をつけるという魂胆を、堂々と世界中に向けて、次はお前の番だと言わんばかりに公言してはばからない。
こんなこと、世界の片隅で生きている一庶民が聞きたくも見たくもないが、やはり気になり、できるだけ正確な情勢を知りたくなって、様々な情報源にあたる。
すると、ある歴史学者の司会する番組で、アメリカの優れた老学者が次のように語っていた。
なぜ為政者が隣国を殲滅しようとするのか、という問いに答えて、
「当事者は、戦争の悲劇を忘れない。例えば、世界はアウシュビッツの悲劇を目撃しながらも、事態を替えようとしなかった。あの恨みは、世代を超えて人の意識の奥底に刻まれた。それは理屈ではないんだ。
為政者には、軍事技術で破壊力そのものを支える能力がある。理念としても作戦としても、相手を無力化するまで戦い切り、完全破壊することに賭けている。
しかし、勝ち筋が失速することもあるということを知らねばならない。どちらが勝者で敗者になるかは誰も予測できない。そして、殲滅された国民が、その事実を忘れることは無いということだ」と語っていた。
「第三夜」の6歳の男の子と、現実のガザの瓦礫に立つ6歳の男の子
「戦争は中断しても、また始まるよ。今は瓦礫の中から食べ物を探すことが先だよ」
この言葉は、つい数カ月前、ガザの戦場から世界に情勢を発信していた記者のインタビューに、6歳のガザの男の子が発した言葉である。その子は、がれきの中に立って、まるで成人男性のような顔つきをして、淡々と悟りのような言葉をつぶやいていた。それはまるで、漱石の「第三夜」の男の子のように・・・。
そして、我々、現在進行中のウクライナ戦争、ガザの市民抹殺の状況、さかのぼれば、80年前の原爆を落とされ、罪なき20万余の日本人が一瞬で消えたこともすっかり忘れてしまっている。いつか、身内、隣人同士でも、国家間でも、無意味に起こる抹殺による恐怖を体験するかも知れないのに。
「天網恢恢疎にして漏らさず」
数千年まえの中国に生まれた「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がある。この言葉は死語にならず、今も、生き続けている。
なぜこの言葉が消えないのか。地球は怨念に溢れているからではないだろうか。天の網が、決して罪を逃がさない。これは、どんな時代にでも、人の心に恨みを植え付けた以上、悪行をした者、戦争を繰り返す国には必ず報いが降りるということ。
この言葉は、正義の実現や因果応報の必然性を説くもので、どれほどの大義名分を掲げようとも理不尽に人を抹殺する人間の行為には、必ず責任が伴うことを強く示唆している。
漱石は私たちに問いかける。
背中の子は石地蔵のように重くなる。
その重さは、百年を超えても消えない。
私たちは今、何を背負って歩いているのだろうか――。
【出典】『夢十夜』第三夜 青空文庫








