《寄稿》ブラジル日系コミュニティ訪問旅行を終えて=徳島県 萩原八郎
このたび日本から3年連続してカーニバル時期に約2週間のブラジル旅行に出かけてきました。今回は私が徳島の大学で開講している市民向けブラジル理解講座の受講生で、勉強熱心な80歳の男性との二人旅でした。
旅の主な目的は、ブラジル観光と合わせて日系コミュニティの現状を知ることです。日本の農山村では若者の人口流出と高齢化による集落の衰退が進んでいますが、同様の現象が見られるブラジル農村部の日系コミュニティの事例も参考にしたいと考えたからです。
ブラジル滞在中の前半は、私が40年近く前に2年間暮らした首都ブラジリアを訪れ、サンパウロではカーニバルのパレードを見学しました。後半はモトリスタ付きの車を借り上げ、サンパウロ州内の日系コミュニティ(共同体)を訪ねて回りました。車の走行距離は7日間で2千キロを超えました。
途中の3日間だけ、サンパウロ市在住の日系4世の青年も参加しました。彼は父方から見れば4世であると同時に、1世(母親は日本人で自身も徳島県で生まれて幼少期を過ごしたから)でもあります。ただし、日本語の読み書きはあまりできません。現在はオンラインによるピアノのレッスン講師をしています。かねてより関心のあった弓場農場を初めて訪問し、ピアノ演奏による交流を経験しました。また、故弓場勇氏の末娘の勝重さんからも「若いのだから何でもできる。積極的に行動したらいい」という励ましのエールを受けました。
さて、サンパウロ州内陸部の訪問地は、昨年および一昨年の旅とほぼ同じですが、3年連続して訪ねたことで現地の様子が以前よりよくわかってきました。日系コミュニティのサステナビリティ(持続可能性)に関する認識を新たにした次第です。
主な訪問先は、①カフェランジア市(平野植民地)、②プロミッソン市(上塚植民地)、③ミランドポリス市(弓場農場)、④グァイサラ市(新生農場)、⑤グァタパラ市(初期の日本人移民が配耕されたモジアナ地方のいくつかのコーヒー農場)、⑥アチバイア市(日系人が約130人の労働者を雇用して経営するバラ農園)、そして⑦マイリポラン市(別荘地のような自宅で藍染めを実践している日系女性の染色研究者)でした。
最後はそのままグァルーリョス空港に向い、帰国の途につきました。本稿では特に印象に残った新生農場とグァタパラでの体験について書きたいと思います。
グァラサイ市の新生農場には朝から突然訪問させていただきましたが、幸先よくここのキーパーソンである「ぱっちん」に会うことができました。昨年もお目にかかった本間雷人氏(92歳)は変わらずお元気で、今回も哲ちゃん(弓場勇氏の長男哲彦氏(1933~2003年)とは同い年で、一緒に兵役で軍隊に入ったときの様子を懐かしそうに何度もお話しされました。ポルトガル語をほとんど話せず軍隊に入った哲ちゃんも豪傑なら、入隊した我々を部下であると同時に人間としても扱ってくれたブラジル人将校も立派だった、という内容です。
前日に行われた新生農場70周年の記念行事には約150人もの人が集まったそうで、まだ残っておられた雷人氏の子息の秀喜氏ほかの方々ともお話しすることができました。1970年代から80年代の最盛期には約100人が住んでいたという新生農場も今では6人にまで減少しています。しかし農場経営を担うぱっちん(60代)とその弟(50代)が残っているので、このコミュニティは今後も存続していくという印象を受けました。
朝からうかがって長居をするうちに昼の時間になってしまい、お言葉に甘えて農場の昼食を一緒にいただきました。脂が乗った大きな淡水魚のグリルがとてもおいしかったです。
グァタパラ移住地では、近藤四郎氏と林良雄氏が事前に計画してくださった、第1回笠戸丸移民の配耕先(カナーン、ヅモン、サンマルチーニョ)を訪ねる特別ルートを回りました。サンマルチーニョは、巨大な精糖工場がある場所です。その近くにあるプラドポリス駅も訪ねました。当時の移民が降り立ったであろう駅舎は、不法占拠と思われる人たちが暮らす廃駅となっていました。
道中、第2回移民のジャタイー耕地に近いルイス・アントニオ市のサンシモン駅も見学しました。また、この日の最後には、グァタパラ耕地に隣接し、第3回移民23家族が配耕されたサンタ・オリンピア耕地の邸宅に昨年知り合ったジョアン・マルコス氏を訪ねました。
イタリア移民の歴史を調べている同氏がさりげなく見せてくれた当時の分厚い会計帳簿には、日付ごとに同耕地の労働者がツケで購入したと思われる商品の数量と金額がきれいな字で記帳されていました。ある日付以降、日本人氏名のローマ字表記が現れて、ほぼ全員が同じ数量を購入した記録が残っていました。
第2回移民までの氏名を把握している林氏は、第3回移民の氏名が記載された貴重な史料に出会えてとても喜んでいました。その時の様子は、ジョアン・マルコス氏のインスタグラムconceitoruralで公開されています。
なお、2017年に近藤、林両氏は映像作家の若林あかね氏を案内して今回とほぼ同じルートで回っており、その記録は若林氏が管理するウェブサイト「ブラジル移住の記録」の中の「モジアナ地域訪問記」にまとめられています。また、旧グァタパラ耕地跡については、昨年訪問した際に同行した松浦直裕氏が記録・公開しているYouTube「なお旅チャンネル」シリーズの「日系人開拓地を訪ねる#3―サンパウロ州グァタパラの記憶」で見ることができます。
今回の旅行も各訪問先で同行メンバーとともに暖かく迎えていただき、おかげさまで楽しく学びの多い旅を無事に終えることができました。高齢ながらバイタリティにあふれた同行者の鈴木さんから刺激を受けた人も多かったようです。お世話になった関係者の皆様には心より感謝申し上げます。
さて、ここからは、一緒に回ったメンバーからの感想です。
ブラジル旅行で日系ブラジル人と交流
【鈴木秀夫】久し振りの海外旅行でした。日本語しか話せずツーリストのツアー旅行しかしていなかった私が、四国大学萩原教授に同行させていただき、日系ブラジル人の方々と交流する機会に恵まれ、遠い国ブラジルを身近に感じることが出来た旅行となりました。
私は徳島県立鳥居龍蔵記念博物館の資料整理ボランティアを10数年しています。人類学者の鳥居龍蔵が1937年ブラジルを外務省の文化使節として訪問し、サンパウロ市法科大学・大正小学校等での講演やジボブラ貝塚・アリアンサ遺跡等の調査を行いましたが、この足跡を時間があれば訪ねたいと思っていました。
サンパウロでは、サンパウロ大学法学部を訪ね、図書館司書の方から、現在の建物が鳥居龍蔵の訪問時にはあったことや、当時の写真入りの新聞記事が残っていることを教えていただきました。大正小学校跡地は、コンデ街のこの辺だろうとのことしかわかりませんでしたが、鳥居の足跡を自分の足で歩けたことに感謝しています。
ブラジルと言えばリオのカーニバルとイグアスの滝が有名ですが、夜にサンパウロのカーニバルを徳島県人会長のお世話で見ることが出来て、その圧倒的な熱量と豪華で素晴らしい祭りに触れることが出来、大変感激しました。ブラジル全土で5日間の国を挙げてのカーニバルとのことですが、大きな活力となっていることでしょう。
カーニバル見物の前には、ブラジリアへ飛び2泊してクビチェック大統領記念館、国立博物館、大聖堂、国会議事堂、最高裁判所、大統領府等を見学して、大平原に出来た政治の中心地を見学して、バスや地下鉄で衛星都市を訪ねました。ここでも日系人のラーメン店経営者や日本からの研修生、警察官、大学の先生との交流が出来ました。
サンパウロに帰り1週間にわたり車で弓場農場など州内各地を巡りました。平野植民地、上塚植民地跡、アリアンサ移住地、新生農場、グァタバラ移住地、外からではありましたが東山コーヒー農園、アチバイアのバラ農園、そしてマイリポランの藍染め実践者を訪問し数多くの日系人の皆様と交流することが出来ました。
訪問先の各移住地では、それぞれの物語があり現在に至っていますが、そのどれもが皆様の汗と知恵と努力の結晶であることを笑顔で語ってくださいました。訪問して交流いただいた皆様には大変お世話になり有難うございました。阿波踊りでご活躍のレプレーザ連の皆様が8月に来徳予定とのことで再会を楽しみにしています。
今回のブラジルの印象は、さとうきびとユーカリの木の広大な大地、そして皆様の笑顔でした。
弓場農場と新生農場を訪問して
【エリオ・タノマル】このたび、ミランドポリスの弓場農場とグァラサイの新生農場を初めて訪れた体験は、どんなところなのか見てみたい、という好奇心を満たしただけではありませんでした。それは、単にサンパウロ州内陸地方でこれまでに行く機会がなかった日系人コミュニティを新たに知っただけではなく、私たちが慣れ親しんでいるライフスタイルとは全く異なる生活のあり方を目の当たりにした新鮮な経験でした。
現在、私は世界最大級の大都市であるサンパウロに住んでいますが、今回訪問した場所が自分の日々の生活と対照的であることは、すぐに感じました。都会の生活は毎日が忙しく、誰かと競うことに刺激を受けながら、自ら立てた目標を達成することに邁進しています。
私たちはしばしば、活動の成果や目に見える所有物、そして目標の達成度によって自分自身の価値を測ろうとします。そのような価値観では、常に次の一歩を頭の中に思い描きながら前へ進み続けることになります。
しかし、私が訪れた二つの農場では、生活の力学そのものが別であるように感じられました。その中心にあるのは集団生活です。それは、同じ時間に皆で一緒に食事をするという家族の集まりを思わせるひとときに象徴的に表れています。しかも、それが特別な機会ではなく、そこでは日常生活の一部なのです。
私にとって最も印象的だったことは、話をしたときに相手からにじみ出るような人間味のある雰囲気でした。私のような来訪者を心から受け入れてくれて、そこで生きる自分の軸となる考え方を落ち着いた口調で語ってくれました。理想を追い求めるのか挑戦を避けるのかという単純な選択の問題ではなく、共生の価値観と文化の継承、そして「今をどう生きるか」という問いを共有する集団の姿がありました。
おそらく、バランスの取れた人生とは、より多くの達成を求めることだけにあるのではなく、時間を共有し、責任を分かち合い、すでに自分の人生の一部となっている人間関係を大切にすることの中にもあるのでしょう。
弓場農場と新生農場を知ったことで最終的な答えが得られたわけではありませんが、人生の中で本当に大切なものを見つめ直すために、立ち止まって考えてみることの大切さを教えられたように感じました。








