三つの世界のあいだで=第2回=食の文化論-遠慮と自己主張のあいだで=ドイツ在住 児島阿佐美
先日、ドイツの日独産業協会が主催する「朝の会」に出席した。焼きたてのサンドイッチを片手に講演を聴き、参加者同士がゆるやかに交流を深める、いかにもヨーロッパらしい朝の社交の時間だ。会場にはドイツ人と日本人を中心に、約20人ほどが集っていた。
内容は充実していた。けれども、ひとつだけ、心のどこかに小さな引っかかりが残った。それは、思うように朝食を楽しめなかったことだ。
正確に言えば、「食べられなかった」のではない。「講演中に食べるのは失礼ではないか」という遠慮が、指先をためらわせたのだった。
パンに伸ばしかけた手が、空中でそっと引き返す。その控えめな逡巡は、どうやら私一人のものではなかったらしい。イベント終了後、テーブルの上には、手つかずに近いサンドイッチやクロワッサンが半分以上も残されていた。
もっとも、例外もいる。60代半ばほどのドイツ人男性は、遠くの皿にまで軽やかに腕を伸ばし、いくつものサンドイッチを平らげ、ジュースやコーヒーを気持ちよさそうに飲み干していた。その堂々たる食べっぷりに、内心「只者ではない」と感嘆した参加者も少なくなかったのではないだろうか。
「空気を読む」という言葉は、日本文化を語るときの常套句だ。あの場でも、多くの人が「今は、がつがつ食べるタイミングではない」という無言の合意を共有していたように思う。
一方で、ドイツは日本ほど過剰な気配りを前提としない社会だ。あえて食事時間を区切らず、「どうぞご自由に」という余白を残す。その合理的で成熟した姿勢は好ましい。
しかし同時に、「今、口にしてよいのかしら」という微妙な戸惑いが、空気にうっすらと漂っていたのも事実だ。
もしこれが日本であれば——。おそらく主催者は「講演中は食べにくいでしょうから」と、あらかじめ食事の時間を明確に組み込んだのではないか。あるいは、参加者の様子を見て、ひと言やわらかく促したかもしれない。
ではブラジルだったらどうだろう。きっと講演が始まる前から自然に食べ始め、「もう食べていい?」と無邪気に確認する人がいても不思議ではない。誰も気まずい思いをせず、朝の光の中で素直に食欲を満たしていたに違いない。
そんな想像を巡らせながら帰路につき、ふとブラジルに住んでいた頃のことを思い出した。道幅いっぱいに広がって歩く人々に、「後ろにいますよ」と念を送っても通じない。「ちょっと通してください」と声に出して初めて道が開く。あの国では、〝言わなければ伝わらない〟のだと学んだ。
ドイツ人は、ブラジル人よりはずっと空気を察してくれる。秩序やルールを重んじる国民性ゆえ、そもそも道いっぱいに広がって歩くこともほとんどない。基準値は日本にどこか似ている。
けれども同時に、自己主張は明確だ。ドイツ在住の外国人も含め、自分の意見や成果は自らの言葉で示すのが当然とされる。会社組織においても、控えめであることは必ずしも美徳ではない。静かにしているだけでは、存在感はすぐに薄れてしまう。
ブラジル人は「言わなきゃわからない」。ドイツ人は「はっきり言ってこそ」。そして日本人は「なるべく言わずに済ませたい」。そんな三者三様の精神文化の輪郭が、朝のテーブルを前にして、私の心の中にくっきりと浮かび上がった。
日本とドイツの「空気を読む」感覚が、ほんの少しだけずれていた。その微妙な差異が、あの不完全燃焼の朝ごはんを生んだのかもしれない。
ちなみに、豪快にサンドイッチを頬張っていたあのドイツ人男性は、最後にこんな一言を漏らした。
「毎回、朝食が大量に残るんだ。もったいないよね」
——まったく、その通りだ。理屈も文化論も超えて、そこにはただ、清々しい正論だけが残った。
元ニッケイ新聞記者の児島さんは、現在ドイツ在住。海外での転職や起業、フリーランスで海外生活をするノウハウ、日本企業の欧州進出に関する相談を受けている。連絡先や詳細はサイト(mysento.coach)で。








