site.title

【オピニオン】日系人として南京事件について思うこと=パラナ州ロンドリーナ市 河合ペドロ

2026年3月12日

このような投稿に2・5万人が「いいね!」をし、4300件のコメントが寄せられ、6千件もシェアされている現実がある
このような投稿に2・5万人が「いいね!」をし、4300件のコメントが寄せられ、6千件もシェアされている現実がある

【フェイスブック投稿文の翻訳】

(※河合さんは、この投稿への辛辣なコメントに関する意見を寄せてきた)

 南京大虐殺(「南京の強姦」としても知られる)は、20世紀において最も残虐で非人道的な暴挙の一つでした。1937年12月、日本と中国の間で数カ月にわたる血生臭い戦争が続いた後、日本軍は当時の中華民国の首都であった南京(現在の南京市)を占領しました。その後に続いたのは、想像を絶する暴力に彩られた、絶対的な恐怖の6週間でした。

 日本兵が街を占領すると、彼らは中国人の民間人や捕虜に対して、絶滅と拷問のキャンペーンを開始しました。推計には幅がありますが、集団処刑、斬首、銃剣による襲撃などによって、20万人から30万人が殺害されたと信じられています。

 野蛮な行為は殺害だけに留まりませんでした。数万人の女性がレイプされ、その中には白昼堂々、家族の目の前で行われたものもありました。多くはその後すぐに拷問され、殺されました。子供、高齢者、そして尼僧までもがその残虐行為の犠牲となりました。家々は略奪され、寺院や病院は放火され、近隣一帯が灰へと変わりました。

 この虐殺は、人間性が憎悪と免罪(罪に問われない状態)の中に溶け去った、戦争の最も残酷な側面を明らかにしました。数十年の間、このエピソードは日本政府の一部によって否定、あるいは過小評価されてきましたが、写真、日記、証言、公文書といった記録が、南京で経験された恐怖を証明しています。

 今日、南京大虐殺は、近代史上最悪の人権侵害の一つとして世界的に認められています。この出来事による感情的·政治的な傷跡は今なお中国と日本の関係に刻まれており、犠牲者の記憶は、野蛮な行為を前にした「記憶、正義、そして人間性」の必要性の象徴として残り続けています。



⬇️ここから寄稿文 ( ※ 原文はポルトガル語、編集部で日本語訳)

ポルトガル語で書かれた南京事件の歴史


 数日前、フェイスブックの「Estudos históricos(歴史研究)」というコミュニティで、南京事件についての投稿を目にした。そこには多くのコメントが寄せられており、それを読んでいるうちに、私も自分の意見を書いてみようと思った。

 まず自己紹介をしておきたい。私は日系人、つまりブラジルに移住した日本人の子孫である。いわゆる二世で、両親は祖父母とともに日本からブラジルにやって来た。十年ほど前から、招かれて地元の日本人コミュニティの活動にボランティアとして関わっている。自分でも日本文化に関する知識や経験が多少あると思っているので、少しは役に立っているのではないかと思う。

 私はブラジルで生まれ、ブラジルで暮らしているブラジル人だ。普段の生活習慣もブラジル社会の中にある。ただ、顔立ちなどから東洋系の出身であることは分かるかもしれない。とはいえ、私が自分から説明しない限り、多くのブラジル人には、私がどの東洋の国のルーツを持っているのかは分からないだろう。

 さて、南京事件についてだが、ここではその投稿に続いて書かれていたいくつかのコメントについて触れてみたい。

 確かに、日本がこの出来事をめぐって否定的な態度を取ってきたという指摘はある。一方で、中国側の主張の中には誇張や、写真の加工などが指摘されているものもある。中国の共産党政権が政治的な理由から、こうした歴史を強調して広めてきた面もあるのではないかと私は感じている。国内で起こり得る別の問題――例えば民主化の要求や、さまざまな民族の独立志向など――から人々の目をそらすための側面もあるのではないだろうか。


投稿のコメントほど日本人は中国文化を嫌っていない現実


 そもそも中国という国は、共産革命以前から多くの王朝が興亡を繰り返してきた。北や南の王朝、さまざまな民族の政権など、長い歴史の中で多くの戦争や支配が行われてきた。その歴史の中から生まれた言葉もあり、現在の日本でも使われている。たとえば「指南」という言葉は「指す」と「南」という二つの漢字から成り、「霧の中でも道を見失わず進む」という意味や、「知識の少ない人を導く」という意味を持つ。こうした意味の違いも、それぞれの文化や視点の違いから生まれたものかもしれない。

 中国の多様性については、現在ブラジルの街に広がっている中国系の店を見ても感じることがある。店主たちはそれぞれの地域の方言を話している。ある中国系の家族から聞いた話では、中国人同士でも出身地域が違うと共感が少なく、時には対立もあり、街で出会うと道を変えることさえあるという。そう考えると、日本人コミュニティのような形の団体を作るのは、中国系社会では難しいのかもしれないと思うこともある。

 南京の出来事は確かに歴史の一つだが、中国という国は非常に広い。日本が中国全土を支配していたわけではない。当時は国民党軍と共産党軍の戦いもあり、さらにチベットやウイグルのような地域では、その戦争とは異なる歴史を歩んでいた。現在では、そうした民族が中国政府から厳しい扱いを受けているという話も聞く。

 投稿に書かれていた多くのコメントは、日本人が中国文化を嫌っているかのような印象を与えていた。しかし、それは必ずしも正しくないと思う。例えば、日本の1970年代の歌「北国の春」は、日本だけでなく海外でも広く知られている歌だ。英語、モンゴル語、ビルマ語、韓国語、北朝鮮語、タイ語など、多くの言語で歌われている。中国語でも、北京語、台湾語、広東語などさまざまなバージョンが存在する。インターネットで検索すれば簡単に見つかるだろう。

 また、日本の月刊誌「文藝春秋」は、日本で最も読まれている雑誌の一つだと思う。20世紀前半から続く歴史ある雑誌で、中国の歴史や考古学、芸術などに関する記事がよく掲載されている。つまり、日本人が中国文化を軽視しているわけではないのだ。


急進的な左翼系の学生たちの声


 大学生だった頃、私は急進的な左翼系の学生たちと一緒に行動していたことがある。彼らがよく口にしていたのは、「日本の天皇は人類の敵であり、ロシア皇帝一家のように処刑されるべきだった」というような考え方だった。

 確かに1930年代、日本では軍部の影響が強まり、政治の中心にも軍人が入り込んでいった。しかし天皇は国家の象徴的存在であり、政治に直接関与する立場ではなかった。少なくとも皇室が戦争を煽るような演説をしていたという話は聞いたことがない。

 彼らはまた、沖縄出身者とそれ以外の日本人との対立についても私に何度も質問してきた。しかし当時の私は歴史について十分な知識がなかった。ただ、そうした急進的な人々は、私よりもずっと多くのことを知っていた。

 彼らの活動の特徴は、社会の中に分断を作り出すことにあるように思えた。貧しい者と富裕層、黒人や先住民と白人、少数派と多数派など、さまざまな対立を強調する。そして最も過激な人々の中には、アメリカの同時多発テロを支持するような発言をする者さえいた。そのためブッシュ政権の時代には、彼らの一部がアメリカへの入国を禁止されたとも聞いた。

 日本について語る共産主義者の投稿もあり、いつかそれについても反論を書いてみたいと思っている。日本では言論の自由があり、共産党は天皇制の廃止を主張し、中国に共感を示すこともある。しかし選挙での議席は多くても一桁台の割合にとどまることがほとんどだ。

 実際に調べてみると、2023年には248議席のうち11議席、2025年には4議席だった。2023年に少し多かったのはコロナ後の社会状況の影響かもしれないが、これはあくまで私の推測だ。

 日本ではコロナの後でもホームレスの数は二千人余りだと言われている。政府がすべて登録しており、家族のもとへ戻るよう説得が行われている。ただし中には自分の意思で路上生活を選んでいる人もいるという。


日系人として、少し不快に感じるコメントも


 ブラジルの日系人として、少し不快に感じるコメントもあった。日本を「軍事的に弱い国」だと表現するものだ。しかし最近のニュースでは、日本の防衛費はGDP比で世界第3位の規模になる可能性があるとも言われている。アメリカ、中国に次ぐ規模だという。

 また、国土が小さいからといって簡単に征服できるわけではない。歴史を見れば、アメリカと日本、ベトナムとアメリカ、イスラエルとガザなど、戦争は単純ではない。第2次世界大戦では、日本が空母2隻を失った時点で戦況は大きく不利になった。一方アメリカは、毎週のように新しい軍艦を建造していたという話をテレビのドキュメンタリーで見たことがある。

 現在、日本がアメリカの同盟国であることに対して批判する声もある。しかし、かつて激しく戦った国同士が、今では協力関係を築いているというのはむしろ良いことではないだろうか。

 日本社会が他国から尊敬される理由の一つに、幼い頃からの規律や教育があると言われる。この規律は平和の時代にも戦争の時代にも役立つものだ。学びや知識と同じように、人にとっても社会にとっても大切なものだと思う。

 私は祖父の知人だったと思われる日本人の古い写真を持っている。おそらく1920年代末から1930年代初めのものだが、その人は韓国の服を着ている。父によれば、当時は韓国文化に共感する日本人もいて、そのような服装をすることもあったという。しかし1930年代末には、そうしたことは難しくなっただろう。経済危機などの状況が、人々の価値観を短期間で大きく変えてしまうこともあるのだと思う。


過去の罪のために罰せられるべきか


 コメントの中には「どの民族も戦争をしてきた。戦争は残酷なものだ」という意見もあった。それには私も同意する。ただ一部の人は南京事件を強調し、広島や長崎への原爆投下を「当然の報い」だと言っていた。私は神ではない。どの悲劇がより重いのか、誰がどれだけ罰を受けるべきなのかを判断する立場ではない。

 現在生きている人々が過去の罪のために罰せられるべきだとは、私は思わない。私はキリスト教的な輪廻の考え方を持っているが、それでも他人を裁くことはできない。ただ経験を通して少しでも理解を深めたいと思うだけだ。

 あるコメントでは「リベルダーデ地区でタクシー運転手をしていたが、日本人はブラジル人だと分かると乗らなかった」と書かれていた。しかし、本当に日本人だったのだろうか。あの地区には中国人や韓国人も多い。

 私が初めてサンパウロのリベルダーデ地区を訪れたのは1976年だった。1980年代にはレプブリカ広場で工芸品を売っていた日系人から、鉄と革で作られた手作りのキーホルダーをもらったことがある。そこでは多くの人が工芸品を売り、バイーア料理の屋台があり、カポエイラの演武やビリンバウの販売も行われていた。

 投稿の中には「このカワイというやつを見てみろ」というようなコメントもあった。もしそれが「カワイイ文化」のことを指しているのならいいのだが、念のため言っておきたい。私の名前はペドロ・カワイで、大学時代から友人たちは私を「カワイ」と呼んでいる。

 「日本はたいした国ではない」「いずれ中国に飲み込まれる」といった言葉を聞くと、私は思春期の頃を思い出す。ある同級生がいつもこう言っていた。「ソ連は世界で一番進んだ国だ。UFOはソ連のものだ。ブラジルには日本人を奴隷にする計画がある。新聞にも出ていた」などと。

 ある日、彼は私にこう言った。「夏休みのあと、僕はもうここにはいない」。

 そして8月になると、彼の机は空いたままだった。


芸術フットボールを追い求めて=沢田啓明=第18回=リスボンの夜を凍らせた南米160年の怨嗟前の記事 芸術フットボールを追い求めて=沢田啓明=第18回=リスボンの夜を凍らせた南米160年の怨嗟
Loading...