《記者コラム》選挙キャンペーン最前線の裏側=手伝いのはずが議員として出馬へ(4) 大浦智子

著名政治家の姪が選挙活動の補助員に
取材を通じて4年前に知り合った帰化シリア人難民のアブドゥルバセット・ジャロール氏(32)の補助員として、3月頃から本格的に選挙活動の手伝いを始めた。筆者の主な作業は、彼のスケジュール管理とイベントでの写真とビデオ撮影、面会する人々との待ち合わせの約束である。
元はと言えば、スケジュール管理とイベントでの撮影に同行するだけだった。ところが、最初に外部とのコミュニケーション補佐で入ったブラジル人女性が、なんと!チームで活動を始めてから2カ月後に、彼女自身がブラジル社会党(PSB)に入党し、連邦下院議員に立候補してしまったのだ。
彼女はジャロール氏の活動していた移民と難民を支援するNGOでボランティア弁護士を務めるはずだった。しかし、同氏が選挙に出ると聞き、NGOで出会って1カ月後には選挙ボランティアの方に興味を持った。
彼女の名前を聞けば、年配のサンパウロ住民なら誰もが知る元サンパウロ市長と同じ名字で、実際に姪であった。彼女の親族は大手企業の取締役クラスや医師、弁護士、政治家ばかり。レバノンとイタリア系のハイソサエティ出身である。
そして、ボルソナリスト(ボルソナロ派)の一族である。党大会に訪れたジェラウド・アルキミン元サンパウロ州知事とは、叔父の名前を出せば、相手の方が一目を置く雰囲気になり、ルー・アルキミン夫人とも対等な友人感覚で話しているではないか。

ジャロール氏と彼女と3人でマルシオ・フランサ元サンパウロ州知事の事務所を訪れた時も、彼女は最初に叔父の話題を出し、フランサ氏も「よく知っているよ」と、言葉にしなくても周知の何かがありそうな空気が漂った。
彼女は誰にでもフレンドリーで、好感度の高い女性である。そして、さらりと「私なら既にファミリーネームが売れているので、資金集めもしやすい」と明るく話し、「なんと心強いことか」と思った矢先、やや信じ難い出来事が起こった。
アラブでは裏切りに相当、でもブラジルでは普通
「5年前に患った病気の後遺症があり、とても選挙キャンペーンを手伝えるエネルギーはない」といった彼女は、突然連絡を絶ち、一件の重要な会議も滞ってしまった。数日後、「やはり一緒に活動したい」と連絡が入った。
しかし、今後さらに大変になる選挙運動を予測し、彼女の健康が一番重要であると受け止め、「味方にすれば心強かったはず」の貴重な人材を手放すことになった。その後、早々に入ったニュースが、彼女の連邦下院議員への出馬だった。
「アラブならそれは裏切りに相当する」と、ジャロール氏は意表を突かれたように表情が固まった。彼女が体調万全でなかったのは確かで、「まさかそんなことがあるとは」と、初めに聞いた時は耳を疑った。
2人にそれほど長い付き合いがあったわけでもない。裏切りほどの大それたものでもなく、単に気が変わっただけの気もする。
しかし、今回の選挙では補佐を務めると「口約束」した人が、突然無断で自分の方が議員選に出馬したのを聞けば、日本人でも何かショックというかモヤモヤを感じるだろう。いとも簡単にゲームをするかのように議員選に出るその感覚に、周囲もごく普通という感じなのがブラジルである。
口約束が約束でないようなことは、ブラジル在住者なら小さな日常(例えば依頼した排水口工事が約束の日に行われないなど)からいつも直面していることで、軽く受け流すだろう。
そして、それが当たり前の感覚になる。小さな日常の積み重ねが、果てはブラジルの政治の場にまでもたらされていそうな、今も夢ではないかと思うエピソードである。