街角ちょっと見=浄土真宗と移民の深い関係=富山県大福寺の太田浩史さんに聞く

「浄土真宗はその歴史の中で多くの『移民』を助けてきました。ブラジル日本人移民史を知るにつけ、彼らが直面した悲劇に対しても、もっと何か出来たのではないのかと責任を感じます」。富山県南砺市大福寺の住職、太田浩史さんが5月11~19日、真宗大谷派南米開教区の催しに参加するためブラジルを訪れた。サンパウロ市を訪れた際、自寺の成り立ちを紐解きながら、浄土真宗と移民の関係、ブラジル日本人移民に対する想いを語った。
大福寺の歴史は1632年、その前身となる道場が砺波郡石田村に建てられたところから始まる。富山県などの北陸地方には、浄土真宗の門徒が多い。一方で、当時の東北地方には浄土真宗の門徒は比較的少なく、また同地には「間引き」の風習があった。
「間引き」は、飢饉などによる食料困窮時に行われる風習で、世帯の食い扶持を減らすため、親が7歳までの子供を殺しても罪となることがなかった。当時の農民に転居の自由は無く、飢饉発生地帯から自主的に逃れることも、その後に訪れる「間引き」の風習から子供を救うこともできなかった。
浄土真宗では「間引き」を認めていない。
「大福寺は建立当初から、飢饉や間引きから逃れようとする一家の望みに応え、越境移住を様々な方法で助けていたようです。地域によっては、一家全員がある日忽然と姿を消し、『神隠し』と噂されたということも。また、飢饉で過疎となった地域に対して、開墾意欲を燃やす農民を移住させ、地域復興の手助けもしていたようです」
戦前の日本政府は人口増による食糧難への対応として、国民の外国移住政策を用いた。政府は当初、ブラジルへの移住を推し進めたが、満州国の誕生に伴い、方針を転換。ブラジルの日本人移民は国家政策の中で宙に浮いた存在となり、その後多くの悲劇に見舞われた。
「富山からはアリアンサ移住地などに多くの移住者が送り出されています。郷里を離れる決断をされたご一家は日本を発つ前に菩提寺を訪われたことでしょう。浄土真宗は当時も日本で最多の信者数がいる宗派であり、国家政策への影響力もありました。移民史を知るほどにブラジル日本人移民に対してもっと出来ることがあったのではないのかと責任を感じます」
太田さんは、日本の浄土真宗の門徒にブラジル日本人移民史をより知ってもらいたいと話す。
「ブラジル日本人移民史を知ることは、浄土真宗がこれまで行ってきた移民に対する救援活動の歴史を引き継ぐということでもあります。大谷暢裕門首はブラジル育ちであり、ブラジルを訪れれば、当地在住の門徒の方がブラジルのことについて親切に教えてくださいます。日本の門徒の方にはぜひブラジルを訪れ、浄土真宗と移民の関係についてより理解を深めていただきたいですね」