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ピースボート乗客の上口さん=「広島はブラジル移民と深い縁がある」

2025年1月31日

昼食会に集まった皆さんに体験談を語る上口さん
昼食会に集まった皆さんに体験談を語る上口さん

 広島市役所に長年勤務し、広島平和文化センターで国際交流担当だった上口雅彦さん(じょうぐち、69歳、広島市出身)が、乗船中のピースボートがリオに寄港した機会に一時ツアーを離脱し、23日に友人のいるサンパウロ市へ立ち寄った。
 今回のピースボートは南半球世界一周の旅で、昨年12月に神戸を出航、3月に帰港するもの。リオで友人に会った他、サンパウロ市で旧知の村上佳和・ことじ夫妻にも会おうと来聖し、サンパウロ市の元ニッケイ新聞社長室ベランダで毎週木曜日に開催されているオラプロノービス日本食探究会(中沢宏一会長)の昼食会で一同と歓談した。
 現在、上口さんは得意の英語を活かして広島県地域通訳案内士を務め、外国人観光客を案内して回っている。今回のピースボート費用もそのガイド代で貯めたという。外国人からの定番の質問は「原爆を落としたアメリカ人に対してどう思っているか」「放射能はどれぐらい残っていたのか」だという。
 上口さんと南米との馴れ初めは、1991年8月から3カ月間、市役所から米国ノースキャロライナ州に研修に送られ、その間にラテン系移民と知り合い、サルサを覚え、そこから南米文化への関心が高まったことだという。研修の休み中にリオにも足を延ばしてボサノバを体験、ブラジルも好きになった。
 1995年、阪神淡路大震災に関連して東京に出向を命じられた際、サルサ教室にも通い、広島に帰ってからサルサを通じてブラジル人やペルー人と知り合い、毎月サルサパーティを行うようになったという。
 長年、広島市役所に勤務した上口さんは、「市役所は人を派遣して1980年代にブラジルやペルーの日本移民史料を収集して回り、倉庫二つ分も集めた。移民史料館を建てる計画まであったが、まだ実現していない。広島とブラジル移民には切っても切れない深い縁がある」との話を披露した。
 上口さんは村上夫妻の案内で、セー大聖堂や移民史料館を見学した後、飛行機でブエノスアイレスに向かい同ボートに合流した。


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