「人数少ないが同じ釜の飯食った仲」=南米産業開発青年隊協会が総会

南米産業開発青年隊協会(渡邉進会長)の定期総会と新年会が16日午前10時からサンパウロ市の宮崎県人会で開催され、会員11人とその家族ら計約18人が出席した。昨年は病欠が目立ち出席隊員は7人だったが、今年は増えた。最初に先没者の御霊に1分間の黙とうを捧げた後、早川量通(かずみち)さんが司会兼書記に選ばれた。
青年隊は1956年から全326人が当地に送り込まれ、うち150人前後が冥土に旅立ったが、100人には現在も連絡が取れ、70人が会費を納入しているため会報が郵送されている。
渡邉会長が開会の辞で「新隊員が入隊しない南米産業開発青年隊でありますので、先細りは仕方ありません。しかしそんなこと考えてもどうにもなりません。できることを無理しないで、2025年も仲良くこなしていきましょう」と述べた。
24年度活動報告では渡邉会長が総会、月例会、慰霊碑清掃、慰霊祭、会報発行が活動の5本柱と前置きし、「青年隊事業を元気に明るくこなせた。大変ご苦労様でした」と感謝した。長田譽歳(おさだ・たかとし)さんから24年度会計として38人から会費、二人から寄付を受けた結果、残高2万3748レアルだったと報告された。今年も会費は年200レアルに維持する提案が出され、拍手で承認された。
25年度活動予定として7月19日(土)の慰霊碑清掃、8月24日(日)の慰霊祭、2カ月ごとの会報発行、毎月第3土曜日の月例会が提案され、承認された。長田さんから25年度予算として「前年と同じ」と提案され、承認された。

役員選挙も行われ、渡邉会長自ら「今やっている人ができるだけ続けましょう」と提案し、承認された。来年が創立70周年でもあり、曽我義成(そが・よしなり)さん(4期)から「子孫に青年隊の歴史を残すためにポルトガル語小冊子を作ったらどうか」と提案があり、「すでに立派なポ語日本移民史はある。青年隊も大体同じような歴史だから、特別なものを作る必要はないのでは」「誰が書くのか」などと異論も出て、曽我さんを中心とした委員会メンバーが決められ、議論を続けることになった。
最後に盆子原国彦さん(6期)が青年隊の誓いを読み上げ、出席者全員で「産業開発青年隊歌」を歌った。閉会の辞をブラジリアから参加した吉田茂治(しげじ)さん(7期)が「昨年出席したのは7人だったが、今年は11人も来てよかった」と喜び、最後に菊地義治さん(5期)が「昨年の慰霊祭には家族の若い人がたくさん参加してくれ良かった。今年も皆で若い人に呼びかけましょう」と語った。
カンピーナス市在住の山木源吉さん(8期)は「新年会で皆と顔を合わせるのが楽しみ。青年隊は人数こそ少ないが、ウマラマの訓練所で同じ釜の飯を1年余り食べたから、仲間意識が強い」と笑顔を浮かべた。
青年隊は農家の二、三男を技能者として養成し、戦後復興のために役立てようと建設省により作られた制度で、その一部326人がブラジルへ送り込まれ、農業を始め建設、通信、測量等の分野で当地の国土開発に貢献した。