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【コラム】「木下」という名が遺したもの=(13)=奥原マリオ純

2025年7月31日

木下利雄さん
木下利雄さん

 1997年、筆者はテレビ番組『Imagens do Japão』(TVバンデイランテス)で、天皇皇后両陛下のブラジルご訪問を報道する任に就いた。昭和天皇のご訪伯以来、明仁天皇と美智子皇后にとっては三度目のご訪問であった(初訪問は1967年、次いで1978年)。その際、パラナ州クリチバにて、天皇皇后両陛下の歓迎晩餐会の料理長として任命されたのが、木下利雄氏であった。

 木下氏は北海道生まれ。1961年にブラジルへと渡り、リベルダーデ地区のトマス・ゴンザーガ街に理髪店「Galeria Kinoshita」を開業。1978年には、同じ姓を冠した日本食レストランも立ち上げた。サンパウロ地下鉄リベルダーデ駅の開業、さらには街灯として知られる鈴蘭灯の設置も目の当たりにし、日本人街の歴史と「黄金時代」を支えた人物のひとりでもある。

 当初、レストランは理髪店と同じ通りに構えていたが、まもなくグローリア街168番地へ移転。そこは家族経営の店であり、妻の鈴木多千代さん(花柳流日本舞踊名取の花柳龍千多)、息子のウィルソンさん、娘のスザナさんが、週6日間、利雄氏のもとで働いていた。

 1990年代半ばには、若き料理人・村上強史氏が厨房に加わり、伝統的な和食から現代的な創作和食への転換が進んだ。村上氏と娘のスザナさんの結婚により、孫の潤(ジュン)くんが誕生し、木下氏は三世代にわたる家業継承の夢に胸を膨らませた。なお、パラナ州にも息子ウィルソン氏が経営する支店が存在していた。

 木下氏は、家族による安定した経営を重視したのみならず、寿司や醤油の味を広くブラジル人に紹介した先駆者の一人でもある。長年の努力の末、レストラン「Kinoshita」は2000年代初頭には日系社会の中でも屈指の名店としての地位を築いた。

 だが、その輝かしい歴史の陰に、一つの事情があったことはあまり知られていない。

 1961年、渡伯を希望していた当時の若き木下氏は、結婚して婿として妻の家に入り、妻の姓である「鈴木」を名乗らざるを得なかった。これは、当時の移民政策の下で、家族単位での移民しか許可されなかったためである。

 このような「制度上の都合」により、姓の変更を余儀なくされた事例は、日本移民の歴史において珍しいことではない。1908年以降、多くの日本人がブラジルを新天地とし、単身渡航が行政上困難であったため、他家の戸籍に入って姓を変えるというケースも多く見られた。

 たとえば、筆者の祖父・上間孝嘉も、妻の姓である「奥原」を継ぐために改姓した。また「日系移民の母」と呼ばれる渡辺マルガリーダさんも、1912年の渡伯に際し、鳥越家に「養女」として登録されている。

 こうした慣行を理解するには、日本とブラジルにおける戸籍制度の違いに触れなければならない。日本では、個人単位の出生証明書ではなく、「戸籍(こせき)」と呼ばれる家族単位の公文書にすべての情報が記載される。誰がどの家に属しているか、親子関係、婚姻、養子縁組、改姓などが一目で分かる仕組みだ。

 木下氏にとっても、「鈴木」という姓は制度に適応するための選択であり、「木下」が本来の姓であることは、戸籍にのみ記されていた。だから、こそ店名としては「Kinoshita」にこだわりがあった。

 戦後15年を経たとはいえ、1960年代初頭の日本はまだ戦禍の傷が深く、失業、インフレ、食糧不足などの困難を抱えていた。そんな中で、妻多千代さんの父の急逝により、木下氏は義母と4人の義弟妹を扶養する責任を負い、「婿養子(むこようし)」として鈴木姓を名乗り、ブラジル移住を果たしたのである。

 その後も、「鈴木」姓を公的に用い続けたのは、義母との約束と、義弟妹への責任を全うする覚悟によるものだった。家族のため、昼は理髪業、夜は料理人として働き、誠実と信頼を貫いたその姿勢は、まさに「家業は一家の責任」とする日本の伝統的価値観を体現していた。

 しかし、氏の没後14年を経た現在、「木下」の姓を商業目的で別人が使用する動きがあり、裁判となっている。血縁関係のない第三者による商標利用の是非が問われているのだ。

 ここで重要なのは、「氏名」と「商標」は法的に異なるという点である。家族が守ろうとしているのは、単なる商業権利ではなく、祖父の名に込められた記憶、人格、そして築いてきた人生そのものへの尊重なのである。

 この争いは、ブランドの問題ではない。異国の地で家族を守るために姓を変え、努力の末に信頼と尊敬を築いた一人の男の尊厳を、いかに後世へ伝えるかという問題である。

 ブラジルと日本の友好通商条約締結130周年を迎える本年、木下利雄という料理人の歩みは、家族への献身と誇り、そして移民の歴史に深く刻まれるべき物語である。


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