ブラジル マンダカルー物語=黒木千阿子=(31)
そんなある日、私の古いアルバムをめくっていた子供達が不思議そうに、「日本にもネグロがいるのか。」
と、聞くのです。
そして、アルバムを差し出しながら、写真の説明を求めました。
それは、若かった頃の私が、かわいい赤ちゃんを抱っこしている写真や、小さな子どもたちにご飯を食べさせている写真などでした。
みんな、バイーアの子どもたちと同じように黒い肌をしています。
そうです。
私は、保母として混血児の養護施設で働いていたのです。
写真は、その時のものでした。
「マンダカルーの子共たちは、私の説明に大喜び、そのアルバムを手に、
「日本にもネグロがいるぞう」
「日本にもバイーアがあるぞう。」
そう叫びながら、皆に見せて回りました。
おかげで、そのアルバムが私の手に戻ってきた時には、もう「日本、ネグロ皆殺し説」を口にする人はいませんでした。
昔の古びた写真が、このように大きな役割を果たしてくれるとは、夢にも思っていませんでしたから、私が大喜びしたことは言うまでもありません。
それだけでなく、自分がこの黒人の世界に何の違和感も持たずに平気で暮らしていられるのは、この写真の中の子どもたちとのあの貴重な生活が深く肌にしみこんでいるからにちがいないと、その発見にも大きな感動を味わいました。
ロバのちいちゃん、ふうちゃんとの出会いは、土に生きる人々との出会いであり、その人たちの出会いは、また貧しさとの出会いでもありました。
ファゼンデイロ(大地主、大農場、大牧場主)の許可を得て、原生林を切り開き、農業を営むことで生計を立てている人々にとっては、急な坂道でも険しい山道でも荷物を背負って歩けるロバがいなくなっては、何一つ仕事になりません。朝、暗いうちから起きだして、父親と山の畑に働きに行くような感心な息子がいませんから、七十をとっくに越した人達が現役で働いていられるのも、ロバのおかげなのです。