玉城千春=沖縄の心を南米で熱唱=満員御礼の観客を魅了=遠路マナウスからも来場
人気デュオKiroroのボーカル、玉城千春が16日、サンパウロ市イビラプエラ区にあるシルクロ・ミリタールで単独ライブ「Chiharu Tamashiro Live in Brazil」を開催した。主催者によるとチケットは完売、1千人が来場した。ブラジル日系社会が待ちに待ったこの公演は、故郷沖縄の温かいメッセージを届け、満員の観客を熱狂させた。
ライブ当日は開場時間の午後6時半前から長蛇の列ができ、観客の期待の高さがうかがえた。午後8時、玉城がステージに姿を現すと、会場は大歓声に包まれた。ライブはKiroroの代表曲の一つである「長い間」で幕を開け、玉城は曲に合わせ「長い間待たせてごめんねー」と語りかけ、観客の心を掴んだ。
続いて「僕らのメッセージ」「紅芋娘」が披露された。「紅芋娘」は玉城の出身地、読谷村にちなんだ楽曲で、沖縄の方言で「食べなさい」を意味する「カメカメ」をポルトガル語の「コメル、コメル」に替え歌して歌い、会場を和ませた。
「生きてこそ」「いのちの樹」「Hope Dream Future」とメッセージ性の強い楽曲が続いた。「いのちの樹」は病で亡くなった少年を題材にした曲で、「Hope Dream Future」とともにコロナ禍で子どもたちと作った楽曲だと説明した。
ライブ中盤には日系社会、特に沖縄県人会で親しまれている「涙そうそう」と「島唄」のカバーを披露。観客も一緒に口ずさみ、故郷への思いを共有した。ブラジルの名曲サンバ「Tristeza」と沖縄の民謡「安里屋ユンタ」をマッシュアップした一曲を披露。ポルトガル語の歌唱に盛り上がりを見せる観客は、懐かしい沖縄民謡が重なると大熱狂した。
「Best Friend」「逃がさないで」「最後のKiss」と、Kiroroのヒット曲が畳みかけるように続いた。ライブの最後に玉城とバンドメンバーがそれぞれ別れの挨拶を述べた。キーボードの川口大輔は、譜面にメモされたポルトガル語を流暢に話し、今回が4度目のブラジル訪問だと明かした。パーカッションの南條レオは「自分はウチナーンチュじゃないけどパウリスタだ」とサンパウロ生まれであることを明かして観客を驚かせ、ブラジルで演奏するという長年の夢が叶った喜びを語った。
ギターの金川哲也はポルトガル語が話せないと照れながら前置きしつつも、沖縄の方言で挨拶を交わし、観客を魅了した。バンドメンバー各自が緑、黄、青のブラジル国旗カラーの「かりゆしウェア」を着用し、ブラジルへの敬意と温かい配慮が感じられた。
本編最後の曲「未来へ」が終わり、客席からアンコールの声が湧き起こった。玉城はすぐに沖縄の伝統的な紅型染めの羽織をまとい、小さな花笠を持ってステージに戻った。アンコールの一曲目は「ふるさと」。続いて「ブラジルにも冬があるとは知りませんでした。寒いですね。そんな冬にぴったりの曲を持ってきました」と語り、「Winter Song」を歌い上げた。予定にはなかったが、ブラジル沖縄県人会からの温かい歓迎に感謝し、遠い地で文化を継承し続けた先人たちの努力を称え、沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」をサプライズで披露し、この日のライブは幕を閉じた。
終演後、玉城はファン一人ひとりにサイン入りのステッカーを手渡し、一緒に記念撮影をするなど、交流の時間を設けた。主催者の一人、銘苅ロドリゴさんは「玉城さん自身、ブラジル滞在中は毎日泣いていたと話してくれました。これほど温かい歓迎は予想していなかったそうです。私たち主催者にとって、何世代にもわたる人々の心に残るアーティストを招き、これまで彼女のライブを見たことのなかった観客に素晴らしい贈り物を届けるという目標は達成されました」と語った。
長年のファンである海藤紀世さん(40代・女性)は「日本にデカセギに行った兄が送ってくれたCDやシングルを聴き、カラオケで熱心に歌っていた」と当時を振り返った。アマゾナス州マナウス市から訪れたギレルメ・レスタットさん(44歳・非日系)は「日本語を勉強していた頃、日本人の友人が送ってくれる日本の番組を録画したVHSやカセットテープで、演歌や伝統音楽などを聴くうちに、Kiroroを知り、今日まで応援し続けている」と語った。